東京高等裁判所 平成7年(う)1174号 判決 1998年4月28日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中一〇〇〇日を原判決の刑に算入する。
理由
一 本件控訴の趣旨は、弁護人内山成樹及び同酒向徹共同作成名義の控訴趣旨書並びに被告人作成名義の控訴趣旨書(その一ないしその三)及び控訴趣旨補充書にそれぞれ記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官加藤康榮作成名義の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。
二 所論は、要するに、次のようなものである。すなわち、原判決は、罪となるべき事実として、被告人が、殺害の目的で、甲野秋子にトリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを交付して服用させ、よって、同女をアコニチン系アルカロイド中毒による急性心不全により死亡させて殺害したとの事実(原判決の「認定した事実」の項中、「第二 殺人の犯罪事実」)、並びに、被告人が、秋子を殺害したにもかかわらず、同女が急性心筋梗塞により死亡したように装って、保険会社四社から、秋子を被保険者、自己を保険金受取人とする死亡保険金合計一億八五〇〇万円を騙取しようとしたが、途中で死亡原因が明らかとなったため、その目的を遂げなかったとの事実(原判決の「認定した事実」の項中、「第三 詐欺未遂の犯罪事実」)を認定判示している。しかしながら、まずもって、秋子の死因が、アコニチン系アルカロイド中毒に基づくものであること自体が証明されておらず、また、被告人が、秋子にトリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを交付して服用させたことも立証されていないのである。すなわち、被告人にとって。秋子に対する殺人は、全く身に覚えがないことであって、無罪であることはいうまでもなく、また、死亡保険金の支払を受けようとしたことについても、その前提となる秋子に対する殺人を犯していないのであるから、詐欺未遂罪が成立する余地はない。しかるに、原判決は、合理的な疑いを容れない程度に証明されていない漫然とした間接事実を積み上げて、殺人及び各詐欺未遂の事実の証明があったとしているのであるから、原判決には犯罪事実認定の方法を定めた刑訴法三一七条の適用の誤りがあり、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、また、原判決は、間接事実の一つとして、被告人がかつての妻であった甲野夏子に対し毒性実験をしたと認めるに当たり、同女の症状がトリカブト等の中毒ではなかったとの被告人の弁解について「後述のとおり」との理由で排斥しながら、その理由を後述していないという理由不備の違法がある。そして、結局、証拠によらないで、原判示のように被告人が殺人及び各詐欺未遂を行ったと認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りがある、というのである。
三 そこで、原審記録及び証拠物を調査して検討すると、原判決挙示の関係各証拠によれば、原判決において、被告人が甲野秋子を殺害したとの事実及び被告人が死亡保険金を騙取しようとしたがその目的を遂げなかったとの事実を認定判示しているところは、いずれも正当として是認することができ、原判決が「争点に対する判断」の項で説示するところも、甲野夏子に対し毒性実験をした点に係る部分を除き、結論的に正当として維持することができるのであって、原審で取り調べたその余の証拠及び当審における事実取調べの結果を合わせて検討しても、原判決には、所論のような刑訴法三一七条の適用の誤りないし判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りはない。なお、所論中、理由不備の主張は、その前提を欠くものである。以下に若干補足して説明する。
四 1(一) まず、関係各証拠によれば、被告人の妻である甲野秋子(昭和二七年八月一四日生。昭和六一年二月一三日被告人と婚姻。以下「秋子」という。)が、昭和六一年五月二〇日午後三時四分ころ、沖縄県石垣市字大川七三二番地所在の沖縄県立八重山病院において、死亡したことは明らかである。
(二) また、関係各証拠によれば、秋子の死体は、翌二一日午前一〇時五一分から午後〇時三六分までの間、沖縄県八重山警察署解剖室において、琉球大学医学部法医学教室助教授の大野曜吉(平成二年六月以降は日本大学医学部助教授。以下「大野助教授」という。)により解剖されたが、その結果は、次のようなものであったことが認められる。すなわち、
(1) 秋子は、身長が約一五九センチメートル、推定体重が約四七キログラムであったこと
(2) 秋子は、心臓血が暗赤色流動性で、内部諸臓器の血量が多く、眼瞼結膜、心外膜及び腎盂粘膜に溢血点が認められたこと、これらは、通常、急死の際に共通に認められる所見であること
(3) 秋子は、心臓以外には内部諸臓器に急死を来すような異常は見られず、外因性の窒息を疑わせるような外表所見や開検所見は認められなかったこと
(4) 秋子の心臓は、冠状動脈に血栓等は見られず、左心室後壁の心筋間の一部に軽度の出血が見られ、小動脈壁の肥厚した部分が所々見られたが、炎症性細胞の浸潤や心筋の明らかな変性、壊死像、繊維化等は認められなかったこと
などの事実が認められる。
そして、これらの外形的な症状からみられる秋子の直接的な死因は、急性心不全であることが明らかである。
(三) さらに、関係各証拠によれば、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 大野助教授は、解剖時に秋子の心臓血約三〇ccを二本の試験管に採取し、これを同女の血液である旨記載したラベルと一緒に袋に入れて縛り、琉球大学医学部法医学教室の実験室の冷凍庫に入れて、冷凍保存したこと、右冷凍庫は、鍵が掛けられていなかったが、右実験室は、夜間や日曜日には施錠されていたこと
(2) 大野助教授は、秋子の死因について、昭和六一年七月一〇日ころに行った琉球大学の学内の検討会において、トリカブト毒(多年生草本であるトリカブトに含まれるアコニチン系アルカロイドであるアコニチン、メサコニチン、ヒパコニチン及びジェサコニチンを総称したもの。以下同じ。)による中毒の可能性が指摘されたことを受けて、同年九月末ころ、東北大学からトリカブトを送付してもらい、トリカブトから抽出した液体をマウスに与えて実験したりした後、昭和六二年一月二〇日ころ、東北大学教授医学部附属病院薬剤部長の水柿道直(以下「水柿教授」という。)に対し、トリカブトからの抽出液を与えた犬の血液を微量分析の予備試験用として送付したこと
(3) 大野助教授は、水柿教授から、犬の右血液からトリカブト毒の検出が可能であるとの報告を得て、同年二月二日ころ、同教授に対し、秋子の前記心臓血約一〇CCを送付したこと
(4) 水柿教授は、同月三日から同年四月一日にかけて、秋子の右心臓血について微量分析を行い、その結果、右心臓血から、補正値(定量値に血液からの回収率をもって補正したもの。以下同じ。)で、アコニチンが約二九・一ナノグラムパーミリリットル(以下「ng/ml」と表記する。)、メサコニチンが約五三・一ng/mlそれぞれ検出されたほか、ヒパコニチンも検出されたこと、なお、大野助教授は、同年二月末ころ、水柿教授から、電話で、右心臓血からトリカブト毒が検出された旨の連絡を受けた際、同教授に対し、トリカブト毒が他人から混入したのではなく右心臓血から検出されたことを再確認するため、検査を再度行うことを依頼し、同教授が再検査を実施したところ、同じ結果が出たこと
(5) 警視庁は、平成三年二月二〇日、大野助教授から、秋子の前記心臓血約五ccの任意提出を受けて、同月二二日、水柿教授に対し、右血液からトリカブト毒が検出されるか否か等について鑑定の嘱託をしたこと
(6) 水柿教授は、同月二七日から同年三月二日にかけて、秋子の右心臓血について微量分析を行い、その結果、右心臓血から、補正値で、アコニチンが約二九・一ng/ml、メサコニチンが約五一・〇ng/ml、ヒパコニチンが約四五・六ng/mlそれぞれ検出されたこと
(7) 警視庁は、同年七月一三日、大野助教授から、秋子の前記心臓血約五ccの任意提出を受けて、同日、東京大学農学部水産化学研究室講師野口玉雄に対し、右血液からフグ毒(テトロドトキシン。以下同じ。)が検出されるか否か等について鑑定の嘱託をしたこと
(8) 野口玉雄講師は、同月一五日から同年八月三一日にかけて、秋子の右心臓血について微量分析を行い、その結果、右心臓血から、テトロドトキシン及びその分解物等の関連物質が補正値で約二六・四ng/ml検出されたこと
(9) 原審では、弁護人の請求により、平成五年八月一一日、日本大学医学部法医学教室押田茂實に対し、東京地方検察庁検察官が平成三年一二月一九日に大野助教授から任意提出を受けた、秋子の心臓血として保管されている血液につき、同女の父、姉及び弟の血液と対照するなどして、親族関係(親子関係、姉妹弟関係)上矛盾が生じないかどうか鑑定することを命じたこと
(10) 押田茂實教授が、平成五年一〇月二八日から平成六年一月一一日にかけて、秋子の心臓血として保管されている右血液及び同女の父親の血液等の血液型について種々の検査を行った結果、秋子の心臓血として保管されている右血液の血液型と、同女の父、姉及び弟の血液型において、親族関係(親子関係、姉妹弟関係)に矛盾が見られなかったこと
などの事実が認められる。
(四) 以上のとおり、右(三)認定の各事実によれば、秋子が、死亡時に、体内にトリカブト毒及びフグ毒を保有していたことは明らかである。そして、関係各証拠によれば、同女の身体に投与されたトリカブト毒及びフグ毒の量を厳密に確定することは困難であるが、右(二)の(1)認定のように、同女の推定体重が約四七キログラムであったこと、右(三)の(6)認定のように、同女の心臓血のトリカブト毒の濃度が約一二五・七ng/mlであったこと、右(三)の(8)認定のように、同女の心臓血のフグ毒及びその分解物等の関連物質の濃度が約二六・四ng/mlであったことを前提に、トリカブト毒及びフグ毒が右血液濃度と同じように同女の体内に一様に分布していたとして、同女の身体に投与された右各毒の量を医学的に認められる方法によって推計すると、トリカブト毒の量は約五・九ミリグラムであり、フグ毒の量は約一・二四ミリグラムであったことが認められる。また、関係各証拠によれば、トリカブト毒及びフグ毒の人間に対する致死量はいずれも約二ミリグラムであることが認められるので、同女の身体に投与されたトリカブト毒の量は致死量をはるかに超えるものであったのに対し、フグ毒の量は致死量に達しないものであったことが認められる。
(五) なお、所論は、秋子の心臓血は、大野助教授が死体解剖の際に採取してから水柿教授に送付するまでの約八か月半の間、琉球大学医学部法医学教室の実験室内等の冷凍庫に保管されていたが、右冷凍庫は、施錠されておらず、そこには他の血液も相当数保管されていたこと、秋子の心臓血と東北大学から送付してもらったトリカブトからの抽出液が、右実験室において、相当期間、併存して保存されていたことなどに照らし、意図的か過失かは別として、秋子の心臓血の右のような杜撰な保管状態の結果、右心臓血にトリカブトからの抽出液が混入され、それがそのまま水柿教授に送付された可能性があるというのである。また、所論は、テトロドトキシンの純品は、大学の研究室には常備されていることが多く、関係者には入手しやすいので、高額な生命保険の支払が絡む問題であり、学問的興味、妬み等の人間関係など、目的は定かでないが、杜撰な保管状態の秋子の心臓血にフグ毒が混入された可能性もあるというのである。
しかしながら、右(三)の(1)認定のように、大野助教授は、解剖時に採取した秋子の心臓血の入った二本の試験管を、同女の血液である旨記載したラベルと一緒に袋に入れて縛り、琉球大学医学部法医学教室の実験室の冷凍庫に入れて保管していたのであり、また、右(三)の(9)及び(10)認定のように、トリカブト毒やフグ毒が検出された血液と同一性を有する、秋子の心臓血として保管されていた残余の血液の血液型は、同女の父、姉及び弟の血液型との間で、親族関係(親子関係、姉妹弟関係)に矛盾は見られなかったのであって、秋子の右心臓血が途中で他の血液と取り違えられたことを窺わせるような状況は、全く存在しない。さらに、右(三)の(1)認定のように、秋子の右心臓血が保管されていた実験室は、夜間や日曜日には施錠されていたのであり、また、右(三)の(4)認定のように、大野助教授は、水柿教授から、右心臓血からトリカブト毒が検出された旨の第一報を受けた際、同教授に対し、トリカブト毒が他から混入したのではなく右心臓血から検出されたことを再確認するため、検査を再度行うことを依頼しているのであって、そのような事実からも、大野助教授が右心臓血の保管や取扱いについて慎重を期していたことが窺われるのである。そして、故意又は過失を問わず、右心臓血にトリカブト毒やフグ毒が混入されたことを窺わせるような状況は、全く存在しないのである。したがって、右各所論はいずれも、採用することができない。
2 そこで、秋子の体内にトリカブト毒やフグ毒が存在したことと、同女が死亡するに至ったこととの関係について検討する。
(一) 関係各証拠によれば、秋子の死亡直前の行動や状況等について、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 秋子は、昭和六一年五月一九日、被告人とともに、大阪空港午前一一時四五分発の全日空一〇三便で那覇空港に到着し、那覇市内等を観光した後、同市天久一〇〇二番地所在の那覇東急ホテルに宿泊したこと
(2) 秋子は、翌二〇日朝起床し、被告人とともに、同ホテル内のレストランでバイキング形式の朝食をとり、同日午前一〇時四〇分ころに同ホテルを出て、車付きウインドケース(通称キャリーバッグ)、ショルダーバッグ及びキルティングの布袋を持って那覇空港に向かい、同日午前一一時ころに同空港国内線ターミナルビル(現在の国内線第一ターミナルビル)一階の到着ロビーに着き、同所で落ち合う約束をしていたD、E及びFの到着を待ったこと(以下、D、E及びFの三名を「Dら三名」という。)
(3) Dら三名は、同日午前八時五〇分羽田空港発の全日空八一便に搭乗し、同日午前一一時二〇分に那覇空港に到着する予定であったが、同便が約二〇分遅れて到着したため、右到着ロビーには立ち寄らず、他の石垣島への乗継ぎ客とともに、乗継ぎバスで南西航空ビルに向かったこと
(4) 秋子は、同日午前一一時四〇分過ぎころ、Dらが右到着ロビーに立ち寄らないことを知り、南西航空の搭乗券を持っていたことから、右到着ロビーで被告人と別れて乗継ぎ客用の自動車で南西航空ビルに向かい、同日午前一一時五〇分過ぎころ、同ビルの搭乗待合室でDら三名と合流し、タクシーで同ビルに到着した被告人の見送りを受けて、南西航空六〇九便に搭乗したこと
(5) 秋子は、搭乗手続が遅れたことから、Dら三名と離れて「五C」の禁煙席に座り、Dら三名は「一六A」、「一六B」及び「一六C」の喫煙席に座ったこと、同便は、同日午後〇時五分ころに那覇空港を出発し、同日午後〇時五三分ころに石垣空港に到着したが、その間、秋子がDら三名と接触することはなかったこと
(6) 秋子は、石垣空港に到着後、Eとともに同空港到着ロビーのベンチに座って喫煙し、同日午後一時ころ、同空港前からDら三名とともにタクシーに乗って、約一一キロメートル離れた沖縄県石垣市新川冨崎一六二五番地所在のヴィラフサキリゾートホテルに向かったこと
(7) 秋子は、右タクシー内で、当初ははしゃいでいたが、途中からほとんど口をきかなくなり、右ホテルに到着した同日午後一時一五分ころには、着ていたジャンプスーツの背中がびっしょり濡れて水を被ったように見えるほど大量に発汗していたこと
(8) 秋子は、右ホテルのフロントカウンターで宿泊手続をし、Dらとともに、同所から約七三メートル離れたコテージ方式の二二〇号室に向かって歩いて行ったが、その際、「何か胃がむかむかするのよね」「胃液が戻る。気持ちが悪い」「戻しそう」などと言っていたこと、その後、秋子は、車付きウインドケースを通路に放置したまま右二二〇号室に駆け込んでトイレに入り、便器を抱えるようにしてしゃがみ込み、「オエッ、オエッ」という声を上げて吐こうとしたが、胃液様の物を若干嘔吐したのみで他には何も出ず、「吐きたいけど、吐けない」などと言っていたこと
(9) 秋子は、Fに促されてベッドに横になり、「寒い寒い」「手が痺れる」「何か変。私の体どうなっちゃうの」「ああ、駄目だわ」「救急車を呼んで」などと言いながら、手が痙攣して氷のように冷たくなり、体を左右に回転させて吐こうとし、大量に発汗して苦しみ続けたこと、また、秋子は、「甲野は、二時何分かの飛行機で大阪に帰るから、まだ那覇空港にいる。連絡取って」などとも言っていたこと
(10) Fは、右ホテルのフロントを通じて救急車の手配をし、同日午後一時五六分ころ、石垣市消防署救急係所属の救急隊員らが右ホテルに到着したが、その際、秋子は、意識は清明であったものの、顔面蒼白で大量に発汗し、吐き気を訴えて苦しがっていたこと
(11) 救急隊員らは、同日午後二時三分ころ、秋子を担架で救急車に乗せ、右ホテルを出発して前記八重山病院に向かったが、その際、同女は、救急車内で、足をばたつかせて苦しみながら、救急隊員らの質問に対し、「別に変わった物は食べていない。那覇のホテルの朝食、バイキングに出されたパンのようなものをとった」「病気はありません」などと答えていたこと
(12) 秋子は、同日二時一〇分ころ、救急車内で、急に「ウウッ」と声を上げて目を剥き、天を突くように両手を上げて後ろに反り返り、足を突っ張る動作をした直後、ぐったりして意識を失い、呼吸や脈が止まり、心肺停止状態になったこと、救急隊員らは、秋子に対し、直ちに人工呼吸、心臓マッサージ等の処置を施したが、同女の心肺機能は回復しないまま、ほどなく救急車が右病院に到着したこと
(13) 右病院の医師の謝花隆光(以下「謝花医師」という。)らは、心肺停止状態でいわゆるチアノーゼ状態になった秋子に対し、気管の中に挿管チューブを入れて人工呼吸を行い、交感神経刺激剤を注射し、心臓マッサージを行うなどの救急蘇生術を施したこと、同女は、心電図装着時には、心臓が電気的には細かく活動していたものの、血液を送り出す状況にはないという心室細動の状態にあり、交感神経刺激剤が投与された結果、心臓の揺れが大きくなって心室頻拍の状態になったことから、謝花医師らが、除細動器によって電気ショックを施し、通常は五回くらいのところ、Eらの頼みにより、一〇回くらいこれを行ったこと、しかし、秋子は、心室細動と心室頻拍の状態を繰り返すのみで、心臓が正常な波形の正常洞リズムに一度も戻ることなく推移し、謝花医師らが心肺蘇生術を断念したところ、秋子の心電図がフラットになり、同日午後三時四分ころ、同女の死亡が確認されたこと
などの事実が認められる。
(二) また、関係各証拠によると、一般的にみて、トリカブト毒の中毒症状等は次のようなものであると言われている。すなわち、
(1) 初期において、酩酊状態、のぼせ、顔面紅潮、めまい、舌や口の周りから順次項部、上肢部、胸部及び腹部へと下行する痺れ感、蟻走感、心臓の灼熱感、心悸亢進等の症状が、中期において、唾液分泌促進、流涎、舌の硬直、言語不明瞭、悪寒、発汗、顔面蒼白、悪心、嘔吐、口渇、胃痛、下痢、四肢無力による起立不能等の症状が、末期において、チアノーゼ、瞳孔散大、体温低下、血圧低下、喘鳴、視力障害、意識混濁、脈拍の細小・不整・微弱・緩徐、呼吸の緩慢・麻痺等の症状が現れる、また、これらの症状の出現状況には、かなりの個人差が見られる、
(2) 心電図の所見としては、多発性、多源性の心室性期外収縮、心室頻拍、房室ブロック、脚ブロック、心房細動、上室性期外収縮など多彩な不整脈が現れること、これは、トリカブト毒が、細胞膜に存在するナトリウムチャンネルの開放状態を延長させ、心筋細胞へのナトリウムイオンの流入を促進し、心筋細胞の自動能を高める働きがあり、その結果、心筋細胞の興奮性を高め、通常の心筋細胞の周期にそぐわない心筋細胞の収縮、興奮を引き起こし、不整脈を生じさせるからである
などと、一般的な症状について言われている。
(三) さらに、関係各証拠によると、フグ毒について一般的に言われているのは、フグ毒は、トリカブト毒とは逆に、細胞膜に存在するナトリウムチャンネルを塞ぎ、心筋細胞へのナトリウムイオンの流入を抑制し、心筋細胞の興奮を抑える働きがあり、基本的に心電図異常は現れないということである。
(四) したがって、前記1(二)認定のような秋子の死体の解剖結果、前記1(四)認定のような同女の体内における致死量をはるかに超えるトリカブト毒の存在、右(一)認定のような同女の死亡直前の行動や状況、同女に出現した症状、右(二)及び(三)認定のようなトリカブト毒やフグ毒の一般的な中毒症状などを総合すれば、同女が急性心不全を発症した原因は、トリカブト毒の中毒であること、すなわち、同女の具体的な死因は、アコニチン系アルカロイド中毒による急性心不全であることが十分に認定できるのである。
(五) なお、所論は、秋子が、同行者のDらに対し、ヴィラフサキリゾートホテルの二二〇号室に入ってしばらくしてから初めて「痺れる」という訴えをしたことなどから、秋子の場合には、トリカブト中毒の初期症状である痺れ感が、最初にはなく、かなり症状が進行してから生じているので、同女の死因は、トリカブト毒による中毒ではないというのである。
しかしながら、右(二)の(1)認定のように、トリカブト毒の中毒症状の出現状況にはかなりの個人差があり、また、秋子が、トリカブト中毒の初期症状を自覚しても、直ちにそれを周囲の者に訴えるとは限らず、実際にも、右(一)の(7)認定のように、秋子は、石垣空港から右ホテルに向かうタクシー内で、当初ははしゃいでいたのに、途中からほとんど口をきかなくなっていることが認められることなどに照らすと、同女が周囲の者に「痺れる」という訴えをしなかったことの一事をもって、最初のころは秋子に痺れ感がなかったということはできないのである。加えて、同女が致死量をはるかに超える量のトリカブト毒を体内に保有していたことは、前記1(四)認定のとおりである。これらの事情に照らせば、同女が「痺れる」という訴えを明示的にした時期が遅れたりしたからといって、同女の死因がアコニチン系アルカロイド中毒による急性心不全であることにつき、疑念を抱かせるものではないというべきであって、右所論は、採用することができない。
3 次に、秋子が、いつころ、どのような経緯で、トリカブト毒及びフグ毒を体内に保有するに至ったのかについて検討する。
(一) まず、関係各証拠によれば、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) トリカブトは、キンポウゲ科トリカブト属植物で、カラトリカブト(別名ハナトリカブト又はカブトギク)、オクトリカブト、ヤマトリカブト及びエゾトリカブトの四種類が日本における主な自生種で、沖縄県では自生していないこと
(2) トリカブト毒は、自然界においては、トリカブト以外の動植物には含まれておらず、トリカブトにのみ存在し、人間の体内で合成されるということはあり得ず、化学的に合成することも不可能であること、また、トリカブト毒を抽出した純品は、日本の薬局では手に入らないこと
(3) トリカブト又はその抽出物を口から直接に摂取しようとしても、苦みと痺れ感でとても耐えられるものではなく、あえてこれを経口摂取しようとするのであれば、カプセルなどの媒介物を用いる必要があること
(4) 秋子は、後記七の1認定のように、昭和六一年三月ころから、白色カプセルを所持し、栄養剤であるなどと言いながら、これを服用することを継続していたこと
(5) 秋子が死亡前日の夕食以降に食べた物の中に、フグ料理はなかったこと
(6) 秋子は、石垣空港に到着した以降は、喫煙したのみであり、飲食したり、カプセル等を服用したりしたことはなかったこと
などの事実が認められる。
(二) また、関係各証拠によれば、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 成人が致死量のトリカブト毒を摂取した場合、口唇や舌の痺れ感は摂取直後から二〇分ないし三〇分以内に出現し、不整脈は悪心、発汗、嘔吐等と前後して三〇分から一時間前後に出現することが多いこと、発症時間については、摂取の量、摂取の形態、胃の状態、体内吸収の状況、日ごろの服用薬、その時の体調などの影響も受け、かなりの個人差が見られること
(2) 前記2(二)及び(三)認定のように、トリカブト毒及びフグ毒は、骨格筋、心筋、運動神経、交感神経、副交感神経、中枢神経など生命維持にとって重要な臓器や組織の細胞膜に存在してそれらの機能を直接制御しているナトリウムチャンネルに結合するものであるが、トリカブト毒がその機能を興奮させるのに対し、フグ毒が興奮を抑制するという機能的に相反する作用(拮抗作用)を示すこと
(3) アコニチン約一二ミリグラムパーキログラム(以下「mg/kg」と表記する。)を単独で空腹時のマウス及びラットに経口投与(カプセルを使用。以下同じ。)した場合と、アコニチン約一二mg/kg及びテトロドトキシン約〇・六七mg/kgを同時に空腹時のマウス及びラットに経口投与した場合とを比較すると、恒温動物におけるアコニチン中毒の症状(開口運動に伴う頭部の痙攣様運動、しゃっくり様運動、胸部狭少、腹部膨大を伴う呼吸障害、嘔吐様運動及び心障害の混合した症状)の発症時間は、ラットについては、アコニチンの単独投与の場合には約一〇分ないし二〇分で、アコニチン及びテトロドトキシンの同時投与の場合には約四五分ないし五五分であるなど、同時投与の場合が単独投与の場合に比べて二倍ないし三倍程度遅くなったこと
(4) アコニチン約一二mg/kgを単独で空腹時のマウス及びラットに投与した場合と、アコニチン約一二mg/kg及びテトロドトキシン約〇・六七mg/kgを同時に空腹時のマウス及びラットに投与した場合とを比較すると、生存時間は、マウスへの経口投与については、同時投与の場合が単独投与の場合に比べて平均で約一・八四倍延び、ラットへの経口投与については、同時投与の場合が単独投与の場合に比べて平均で約一・七六倍延び、ラットへの直接注入(ゾンデを使用。以下同じ。)については、同時投与の場合が単独投与の場合に比べて平均で約一・七八倍延びるなど、全体的に同時投与の場合が単独投与の場合に比べて生存時間が約二倍程度延びたこと、また、ラットについて、アコニチン及びテトロドトキシンを同時に経口投与した場合には、アコニチンを単独で直接注入した場合に比べて、生存時間が約三・一八倍延びたこと
(5) 人間のアコニチン及びテトロドトキシンによる毒性(作用)発現の仕組みは、右(2)認定のように、生命維持にとって重要な臓器や組織の細胞膜に存在するナトリウムチャンネルの興奮作用及び抑制作用にそれぞれ基づくものであり、小動物であるマウス及びラットのそれと基本的に同一のものであること
(6) カプセルが一重ないし三重の場合の内容薬剤の溶出開始時間を比較すると、カプセルが溶解してカプセルに詰められた薬剤が溶出を開始する時間は、カプセルが一重の場合には、平均で約一分三五秒であり、カプセルが二重の場合には、平均で約二分五四秒で、一重の場合の約一・八倍遅くなり、カプセルが三重の場合には、平均で約一〇分四二秒で、一重の場合の約六・八倍遅くなったこと(原判決の「争点に対する判断」の第四の項中、「三重にした時のそれは平均一〇分四二秒で、同じく二重の場合の約七・七倍遅れる」とあるのは、誤記と認める。)
(7) 薬剤であるテオフィリンと医薬品製剤の賦形剤として一般に用いられている乳糖を混合してカプセルに詰めて兎に経口投与した場合(乳糖混合カプセル)、テオフィリンと小麦粉を混合してカプセルに詰めて兎に経口投与した場合(小麦粉混合カプセル)、テオフィリンと小麦粉を混合して水を加え、練り合わせてカプセルに詰めて兎に経口投与した場合(小麦粉練合カプセル)を比較すると、テオフィリンが溶出して最高血中濃度に達する時間は、乳糖混合カプセルでは平均して約二・三三時間プラスマイナス〇・八二時間であったのに対し、小麦粉混合カプセルでは平均して約四・六七時間プラスマイナス一・〇三時間で、小麦粉混合カプセルでは平均して約四・三三時間プラスマイナス〇・八二時間であり、テオフィリンを小麦粉と混合又は練合することによりテオフィリンの体内吸収が大幅に遅くなったこと、このような現象は、テオフィリンの代わりにトリカブト毒を用いても、大きな差異はないこと
(8) 市販のテオフィリン製剤であるテオロングを経口投与した場合、最高血中濃度到達時間は、人間では約五時間であるのに対し、兎では平均して約四・六七時間プラスマイナス二・七三時間であり、両者に大きな差異はなかったこと
(9) 人体に投与された薬剤が最高血中濃度に到達する時間帯は、当該薬剤の薬理作用が最も強く現れる時期であり、人間が薬物中毒で死亡するのは、最高血中濃度に到達した時間帯か、最高血中濃度に到達する前(薬物の量が多い場合)であること
などの事実が認められる。
(三) 前記2(一)及び(二)認定の各事実によれば、秋子のトリカブト中毒の発症時刻は死亡当日の遅くとも午後一時一五分ころであり、同女の心肺が停止したのは同日午後二時一〇分ころであることが認められるところ、右(一)及び(二)認定の各事実を総合すれば、同女は、石垣空港に到着した同日午後〇時五三分より前に、トリカブト毒及びフグ毒をカプセルに詰めた状態で服用したものであることが十分に認められる。そして、右(二)の(1)認定のように、成人が致死量のトリカブト毒を摂取した場合、悪心、発汗、嘔吐等と前後して不整脈が、摂取後三〇分から一時間前後に出現することが多く、また、右(二)の(2)ないし(5)認定のように、トリカブト毒とフグ毒とが同時に投与された場合には、投与量や投与形態などにもよるが、トリカブト毒が単独で投与された場合に比べて、トリカブト中毒の発症時間が二倍程度遅くなることなどに照らすと、秋子がトリカブト毒及びフグ毒の詰められたカプセルを服用したのは、右午後一時一五分ころから約二時間前の同日午前一一時一五分ころまでに遡ることもできるのである。さらに、右(二)の(7)ないし(9)認定の各事実に照らせば、トリカブト毒が小麦粉と混合又は練合してカプセルに詰められていたと仮定した場合には、小麦粉の量や作られ方、水の量などにもよるが、同女がトリカブト毒及びフグ毒の詰められたカプセルを服用したのは、同女の心肺が停止した同日午後二時一〇分ころの約五時間前の同日午前九時一〇分ころ以降である可能性も存するのである。
(四)(1) なお、所論は、次のように主張するものである。すなわち、仮に秋子がトリカブト毒をカプセルに詰めた状態で服用したとすると、同女は空腹時にトリカブト毒の抽出エキスを服用したことになり、最も迅速に消化、吸収が行われることになるので、摂取から発症までが五分程度と推定される。同女の場合、フグ毒の血中濃度がトリカブト毒の血中濃度の約五分の一であり、フグ毒がトリカブト毒の作用を抑えるだけの量ではないので、摂取から発症までと、発症から心肺停止までの時間が約二倍に延長する可能性はなく、両毒による拮抗作用はほとんどない。仮に両毒による拮抗作用があったとしても、摂取から発症までの時間は、二倍以内で延長されるに過ぎず、せいぜい一〇分程度である。同女の場合、カプセルを二重又は三重にして服用したというのであるから、三重にしたカプセルの溶解時間の一〇分四二秒を右一〇分に加え、若干余裕を持たせても、摂取から発症までの時間は二五分以内である。同女の発症時間が午後一時二〇分ころであり、その二五分前は同女が石垣空港に到着した後の午後〇時五五分であるから、同女がカプセルを服用した可能性はないことになるというのである。
しかしながら、秋子のトリカブト毒の摂取から発症までが五分程度と推定することに合理的な根拠は存しない。また、右(二)の(3)及び(4)認定のように、トリカブト毒(約一二mg/kg)の約一八分の一の重量のフグ毒(約〇・六七mg/kg)を同時投与した場合に、トリカブト毒の単独投与の場合に比べてトリカブト中毒の発症時間が二倍程度遅くなることが認められるのであって、右所論のように、フグ毒の血中濃度がトリカブト毒の血中濃度の約五分の一であり、フグ毒がトリカブト毒の作用を抑えるだけの量ではないので、両毒による拮抗作用はほとんどないなどということはできないことなど、右所論は、合理性を欠くものであって、採用することができない。
(2) また、所論は、仮に秋子がトリカブト毒をカプセルに詰めた状態で服用したとすると、その服用量は四・五ミリグラム以上と推定されるので、水飴状のトリカブト毒(カプセルがふやけないように、カプセルを重ねて用いる必要がある。)であれば〇・四五ミリリットル以上を二号カプセル(容量〇・三七ミリリットル)に詰める必要があり、小麦粉と混合して粉末状にしたトリカブト毒(カプセルを重ねて用いる必要はない。)であれば〇・九ミリリットル以上を〇号カプセル(容量〇・六七ミリリットル)に詰める必要があるが、それらはいずれも不可能であり、フグ毒をも合わせて詰めることはなおさら不可能であるというのである。
しかしながら、関係各証拠によれば、トリカブト毒の濃縮の程度は、濃縮作業の時間、抽出操作上のロスの大小、抽出方法の効率性等によって左右されるものであり、現に、警察官が福島県西白河郡産のトリカブトの塊根をエタノール等で抽出して濃縮した液約〇・七グラムを二号カプセル(公称容量約〇・三七ミリリットル)に詰めたものについて、致死量の約一二倍(約二四・一八ミリグラム。抽出濃度液に小麦粉を混ぜて粉末状にしたものの場合)ないし約二七倍(約五三・三六ミリグラム。抽出濃度液のみの場合)に相当するトリカブト毒が検出されたことが認められるのである。したがって、二号カプセルに、トリカブト毒約五・九ミリグラム及びフグ毒約一・二四ミリグラムを詰めることが可能であることはもとより、それに加えて、小麦粉等を混合して詰めることも十分可能であるということができるのであって、右所論は、採用することができない。
(3) さらに、所論は、秋子が、死亡直前に、救急隊員や友人らに対し、カプセルを服用したことを一切告げていないのであるから、秋子がカプセルを服用していないことが裏付けられるというのである。
しかしながら、秋子がカプセルを服用したことを告げていないのは、同女がカプセルの中に毒物が入っているなどとは全く考えなかったからということもできるのであって、前記1(一)ないし(三)及び2(一)ないし(四)認定の各事実や右(一)及び(二)認定の各事実に照らせば、同女がカプセルの服用を告げなかったからといって、同女がトリカブト毒及びフグ毒の詰められたカプセルを服用したことについて疑念を生じさせるものではないというべきであり、右所論は、採用することはできない。
4 以上認定した各事実を前提に、秋子が、いかなる原因ないし経過でトリカブト毒及びフグ毒をカプセルに詰めた状態で服用するに至ったのか、いいかえると、同女が自らトリカブト毒を服用したのか、あるいは第三者の手によって服用させられるに至ったのか、第三者の手によるものとすれば、それは誰であるのかなどについて検討する。
(一)(1) まず、秋子が自らトリカブト毒を服用した可能性について検討すると、自殺に関しては、前記2(一)の(7)ないし(11)認定のように、同女は、トリカブト中毒の発症後、周囲の者に対し、「何か変。私の体どうなっちゃうの」と告げるなど、自らの身体に突然生じた異変や症状にひたすらとまどっていることを窺わせる言動をしているのである。また、関係各証拠によれば、秋子は、右石垣島旅行の帰途、大阪市にある同女方に戻らず、友人のDらと東京に行って遊ぶことを予定して航空券を手配しており、東京で着用する衣類等も入れた大きな車付きウインドケースを石垣島旅行に持参していることが認められる。これらの事情に加え、関係各証拠によって明らかな秋子の本件当時の生活状況等に照らせば、同女が、自殺するために、トリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを服用したと考える余地は全くない。
(2) また、これまで認定したような本件の経緯や、関係各証拠によって明らかな秋子の経歴、本件当時の生活状況等に照らし、同女が、自らトリカブト毒及びフグ毒を詰めたカプセルを作り、あるいは他から入手した同様のカプセルをそれと知って持ち歩き、本件に際し誤って服用した可能性も全く考える余地はない。そして、前記3(一)の(2)認定のように、トリカブト毒は、トリカブトにのみ存在し、化学的に合成することも不可能であって、トリカブト毒を抽出した純品は、日本の薬局では手に入らないという状況に照らし、秋子の買った市販の薬品等の中に、たまたまトリカブト毒やフグ毒を詰めたカプセルが混入していたなど、全くの偶発的な事由で、同女がトリカブト毒を服用した可能性も、皆無というほかない。
(3) 右(1)及び(2)でみたように、秋子がトリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルをそれと知って、自ら意識してあるいは過失で服用した可能性がなく、また、全くの偶発的な事由で、同女がトリカブト毒を服用した可能性も皆無と考えられること、さらに、トリカブト毒やフグ毒を詰めたカプセルは、市販などされているものではなく、人為的に、自らトリカブトからトリカブト毒を抽出したりして作られたものに限られることなどに照らすと、秋子は、何者かの手によって作られた、トリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを、その中身を知らないまま服用させられるに至ったものというほかない。そして、前記2認定のように、秋子の死亡直前の行動や状況、トリカブト毒の中毒症状の発症状況などから、秋子が、死亡当日の午前九時一〇分ころから同日午後〇時五三分ころまでの間に、トリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを服用したものと認められることに照らし、右服用に至る前に、何者かが右カプセルを中身が何であるか知らせないまま秋子に渡したものと考えられるのである。
(二) そこで、秋子にトリカブト毒とフグ毒を詰めた本件カプセルを渡した者は誰であるのか検討するに、秋子に右カプセルを渡した状況や同女が服用した様子などにつき、目撃した者等のいない本件においては、間接証拠から推認するほかないが、秋子に本件カプセルを渡した可能性があるのは、本件当時、秋子と直接的な接触のできた者に限られ、また、前記のとおり人為的に作られたもののほかは、トリカブト毒やフグ毒を詰めたカプセルが存在しないことに照らし、これを自ら作成できるか、それと知って入手することのできた者以外の者は、これを秋子に渡すことは不可能である。
(1) そして、本件当時、秋子と直接的な接触のできた者として、まず、石垣島への旅行に秋子と同行したD、F及びEの三名についてみるに、関係各証拠によれば、次のような事実が認められる。すなわち、
a Dは、昭和五九年ころ、東京都豊島区池袋所在のクラブ「カーナパリ」にホステスとして勤めた際に、同店でホステスとして働いていた秋子と知り合い、その後、友人として同女と親しく付き合っていたものであること
b Fは、昭和四六年ころ、同都中央区銀座所在のクラブ「サンデミ」にホステスとして勤めた際に、同店でホステスとして働いていた秋子と知り合い、その後、同女とは一五年来の友人関係にあったものであること
c Eは、昭和四九年ころ、姉であるFの親友ということで秋子と知り合い、その後、互いに住まいを訪ね合ったりするなど、友人として同女と親しく付き合っていたこと、Eは、後記七の4(一)の(3)及び(4)認定のように、石垣島への旅行に一名が参加できなくなったことから、その者の代わりに右旅行に急遽参加することになったものであること
d Dら三名はいずれも、被告人や秋子から誘われて石垣島への旅行に参加することになったものであり、旅行費用も自分らは負担せず、被告人が全額負担するというものであったこと
e Dら三名はいずれも、前記2(一)認定のように、秋子が死亡した本件当日の午前一一時五〇分過ぎころに南西航空ビルの搭乗待合室で同女と合流して以後、ほとんど三名一緒に行動しており、南西航空六〇九便においては、自分たちと離れた座席に坐った秋子と接触することはなかったこと
f Dら三名にはいずれも、秋子に対する恨みや憎しみなどを抱いていたような状況はなく、同女を殺害しようとする動機や事情は全く存在しなかったこと
などの事実が認められる。
そして、右認定のような客観的状況に照らし、Dら三名については、いずれもトリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを秋子に渡し、これを同女に服用させようと図った可能性があるとは到底認められない。しかも、右認定の各事実や、関係各証拠によって明らかなDら三名の本件当時の各生活状況等をみると、Dら三名はいずれも、トリカブトやフグを入手したり、トリカブト毒やフグ毒を抽出して保管したりしたこともなく、トリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを作成できるような状況も全くなかったことが明らかである。
(2) 次に、関係各証拠によれば、秋子の両親、姉、弟ら親族や、秋子の友人ないし知り合いの者らの中に、秋子の死亡当日又はその直前ころに同女に接触できた者は、Dら三名を除けば存在せず、また、秋子を殺害しようとする動機や事情のある者も一切見当たらないのである。のみならず、本件全証拠によるも、その者らの中にトリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを作成できるような者の存在することを窺わせるような状況も全くない。
(3) さらに、前記2(一)認定のような秋子の死亡直前の行動や状況等に照らし、同女の泊まったホテルの従業員や、航空会社の従業員らその他、本件当日たまたま秋子と接触する機会を持った者の中に、秋子に対し、トリカブト毒やフグ毒を詰めたカプセルを渡したりした者がいたことを窺わせる状況は、一切存在しないのである。
(三) これに対し、被告人は、秋子の夫として、前記2(一)認定のように、本件当日の午前一一時四〇分過ぎころまで、秋子と終始行動を共にしていたのであり、被告人が秋子にカプセルを渡す機会は十分にあり、物理的にも可能であったと認められる。そして、本件全証拠を精査しても、被告人を除けば、右(二)の(1)ないし(3)でみたとおり、秋子に対し、死亡当日又はその直前ころ、トリカブト毒やフグ毒を詰めたカプセルを渡したことを窺わせるような状況のある者の存在は全く見当たらないのである。なお、被告人は、前記3(一)の(4)(なお、後記七の1参照)認定のように、秋子が日ごろ薬品等の入ったカプセルを服用していたことを知っていたことが認められ、その意味で、同女にカプセルを渡すことが容易であったことも窺われるのである。
五 次いで、被告人の場合、トリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを自ら作成し、あるいは他から入手することが可能であったのかどうかについて検討する。
1(一) まず、関係各証拠によれば、被告人のトリカブトの入手について、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 被告人は、昭和五六年一一月ころから昭和五七年九月ころまでの間、福島県西白河郡西郷村所在の山野草販売店「カルミヤ」において、数回にわたり、鉢植えのトリカブトを合計六二鉢購入したこと、その内訳は、昭和五六年一一月二五日ころに六鉢、昭和五七年七月二日ころから同月四日ころまでの間に一〇鉢、同月五日ころに一五鉢、同年八月下旬ころから同年九月中旬ころまでの間に一括又は二回に分けて三一鉢であったこと
(2) 被告人は、右購入に際し、同店経営者のAに対し、「珍しい花なので、八王子に植えて、近所の奥さん方に見てもらって喜んでいます」などと言い、昭和五七年九月中旬ころには、右経営者の妻であるBに対し、「もうこれで最後になります」「転勤するんで」などと言ったこと
(3) 被告人は、昭和六〇年六月ないし八月ころ、当時の被告人方であった、東京都豊島区西池袋<番地略>所在のソフトタウン池袋一一〇三号室において、そのベランダに、トリカブトの鉢植え五、六個を置いていたこと
などの事実が認められる。
したがって、被告人が、多量のトリカブトを入手したことがあったことは明らかである。
(二) ところで、被告人は、トリカブトの購入の目的につき、原審公判廷における供述中で、当時の妻の甲野夏子から、ヤマトリカブトを生け花に使うと斬新で非常におもしろいので、もっと手に入らないだろうかなどと言われたためである旨述べている(被告人は、当審公判廷においても、同趣旨の供述をしている。)。
しかしながら、右(一)の(1)認定のように、被告人が購入したトリカブトの数量は、極めて多いのである。また、右(一)の(2)認定のように、被告人は、トリカブトの購入に際し、自己の住居や職業について偽りを述べている。さらに、後記4(二)認定のように、その後に被告人が一人で使用又は居住していた、晴光荘二階七号室、エスポワールトーキン四〇一号室及びマンション「シャトー32」三一〇号室(原判決の「争点に対する判断」の第三の三の1の項中、「三〇一号」とあるのは、誤記と認める。)からも、トリカブト毒が検出されている。したがって、これらの事情に照らすと、トリカブトの購入の目的について述べる被告人の原審公判廷及び当審公判廷における右供述は、信用することが困難である。ただし、この点、後記4(四)の(1)b認定のように、被告人自身も、原審公判廷における供述中で、私は、昭和五七年一二月のトリカブトの植え替えの時に、トリカブト二個の根と茎とを切って、アルコールに漬け、トリカブト毒を抽出したことがあるなどとも述べているのである。
(三)(1) なお、所論は、被告人が購入したとされる福島県西白河郡産のトリカブトから抽出したトリカブト毒につき、アコニチン対メサコニチンの構成比平均値が一対三程度になっているところ、秋子の心臓血に含まれるアコニチン対メサコニチンの構成比が一対約一・八であり、服用前のトリカブト毒の構成比もアコニチン対メサコニチンが一対約一・八になるので秋子の服用したトリカブト毒は、福島県西白河郡産のトリカブトに比べてメサコニチンの含有量が相当に少ないという違いが生じている、したがって、秋子の心臓血に含まれていたトリカブト毒は、福島県西白河郡産のトリカブトに由来するものではなく、被告人の扱っていたトリカブトから検出できるトリカブト毒とは同一性を欠くのであるから、被告人がトリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを秋子に渡した可能性は否定されるというのである。
(2) しかしながら、関係各証拠によれば、次のような事実が認められる。すなわち、
a 警察官が平成二年一二月二〇日に福島県西白河郡西郷村所在の有限会社L(前記山野草販売店「カルミヤ」の仕入先)の従業員から任意提出を受けたトリカブトの塊根六個(鉢植えのもの一個及び野生のもの五個)と同社の敷地内で採取した野生のトリカブトの塊根二個について、トリカブト毒の構成比を分析したところ、アコニチン対メサコニチンの比率は、最小で一対約二・三、最大で一対約一一・六であり、アコニチン対ヒパコニチンの比率は、最小で一対約〇・〇一、最大で一対約一〇・五であったこと
b 警察官が平成三年九月に同村内の山林で採取した野生のトリカブトの塊根六個について、トリカブト毒の構成比を分析したところ、アコニチン対メサコニチンの比率は、最小で一対約一・二、最大で一対約四・〇であり、アコニチン対ヒパコニチンの比率は、最小で一対約〇・〇一、最大で一対約〇・四であったこと
c 警察官らが同年五月九日に前記有限会社Lの従業員から任意提出を受けた塊根付きのトリカブト三個と同村内の山林で採取した野生の塊根付きのトリカブト三個について、トリカブト毒の構成比を分析したところ、アコニチン対メサコニチンの比率は、最小で一対約二・二、最大で一対約九・二であり、アコニチン対ヒパコニチンの比率は、最小で一対約〇・〇六、最大で一対約一・一であったこと
d 警察官が同年六月二九日に同村内の山林で採取した野生のトリカブト五個について、トリカブト毒の構成比を分析したところ、アコニチン対メサコニチンの比率は、最小で、一対約二・八、最大で一対約一三・一であり、アコニチン対ヒパコニチンの比率は、最小で一対約〇・〇三、最大で一対約〇・七であったこと
e 警察官が同年九月一一日に同村内の山林で採取した野生のトリカブトの塊根五個と前記有限会社Lの従業員から引き取った鉢植えのトリカブトの塊根一個(警察官が同年三月二一日に同村内の山林から採取して右従業員に鉢植えにさせてビニールハウス内で栽培させていたもの)について、トリカブト毒の構成比を分析したところ、アコニチン対メサコニチンの比率は、最小で一対約一・五、最大で一対約五・二であり、アコニチン対ヒパコニチンの比率は、最小で一対約〇・〇〇七、最大で一対約〇・四であったこと
などの事実が認められる。
これらの事実を照らせば、同じ日に同じ場所から採取されたトリカブトの塊根であっても、トリカブト毒の構成比にはかなりの差異が存することが明らかである。
(3) また、関係各証拠によれば、トリカブト毒の構成比は、トリカブトの産地によって異なるのみならず、同じ産地であっても、採取場所の環境(日当たり状況、土地の肥沃度による栄養状況等)、採取の年及び季節、天候、トリカブトの種や成長状況(発芽時、開花時等)、烏頭(母根)と附子(子根)の別、塊根の部位(外側と内側、上部と下部の別)などによって異なることも認められる。
(4) したがって、右所論のように、福島県西白河郡産のトリカブトのアコニチン対メサコニチンの構成比平均値と、秋子の心臓血に含まれるアコニチン対メサコニチンの構成比が異なるからといって、直ちに秋子の心臓血に含まれていたトリカブト毒が、福島県西白河郡産のトリカブトに由来するものでないということはできない。むしろ、関係各証拠によれば、福島県西白河郡産のトリカブトと秋子の心臓血に含まれていたトリカブト毒とは、メサコニチンが最も多い成分であったことや、ジェサコニチンが検出されなかったことなどに照らし、両者が同一のものであると断定することはできないものの、両者が同一のものであるとしても何ら矛盾はないことが認められるのである。また、仮に、秋子が服用したトリカブト毒が福島県西白河郡産のトリカブトでないとしても、被告人がトリカブトとの関わりを有していたこと自体は否定されないのであるから、被告人がトリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを秋子に渡した可能性が直ちに否定されたり、そのことについて合理的な疑いが生じたりするものではなく、いずれせよ、右所論は、採用することができない。
2(一) 次に、関係各証拠によれば、被告人のフグの入手について、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 被告人は、昭和五九年三月ころから昭和六〇年秋ころまでの間に、神奈川県横須賀市走水<番地略>の走水海岸所在のH方倉庫において、漁業を営む同人から、数回にわたり、クサフグを一匹一〇〇〇円で合計一二〇〇匹くらい購入したこと、その内訳は、昭和五九年三月ころに約三〇匹、その後間もないころに約六〇匹、同年夏前ころに約二〇〇匹ないし三〇〇匹、同年秋ころに約三〇〇匹、昭和六〇年四月ころに約二〇〇匹ないし三〇〇匹、同年六月ころに約二〇〇匹ないし三〇〇匹、同年秋ころに約二〇〇匹であったこと
(2) 被告人は、右購入に際し、Hに対し、「撲は、大学教授の助手をしている。先生がフグの毒を研究するについて、そのフグを買い集めに来ているんだ」などと説明し、また、Hの漁業を手伝っている同人の娘婿のNに対し、「先生が本を作るのにサンプルとして集めている」「フグの毒について、実際にその資料を使ってサンプルで出さないと本が書けない」「その本が出版されるまでは秘密にしなければならない」などと言ったこと、さらに、被告人は、Hの息子のIから、二〇〇匹くらいのフグでどれくらいの毒が採れるのかと尋ねられた際、「これだけあっても、耳掻きで一杯か、二杯しか採れないんですよ」などと答えたこと
(3) 被告人は、右購入にあたり、クサフグのほかにサバフグやショウサイフグが混じっていた場合には、「サバフグは毒がないから、使いものにならない」「ショウサイフグは要らない。クサフグだけが欲しいんだ」などと言って、サバフグやショウサイフグは持ち帰らず、クサフグだけを購入したこと
(4) クサフグは、内蔵に毒性の強いフグ毒を含有し、通常一五センチメートルくらいの大きさにしかならず、商品価値がないことから、捕獲の対象とされず、定置網に入ってそのまま廃棄されるものであること、これに対し、サバフグは、四〇センチメートルくらいまで大きくなる無毒のフグであり、また、ショウサイフグは、三〇センチメートルくらいまで大きくなり、毒性がクサフグより弱く、大きなものについては商品価値もあり、食用になるものであること
(5) 被告人は、昭和六一年にH方に電話をし、電話に出た同人の妻Mに対し、「私の先生に当たる教授に迷惑が掛かるので、私が教授から頼まれてあなたの所からたくさんのクサフグを買ったということを内緒にしておいてほしい。御主人たちにも同じようにお願いします」などと言ったこと
などの事実が認められる。
したがって、被告人が、毒性の強いクサフグを多量に入手したことがあったことは明らかである。
(二) なお、被告人は、原審公判廷及び当審公判廷における供述の中で、クサフグを購入したのは、当時、栄養食品を宅配する食品会社の設立を計画しており、フグ料理の実習ということでフグをさばきたかったからである、クサフグは、他のフグに比べて小さく、一六センチメートルくらいの大きさでは料理の実習ができないが、数百匹買うと、その中に一匹か二匹は二〇センチメートル以上のものが混じっていたので、調理の実習にはそれを利用した、クサフグの毒について特に知識があったわけではなく、サバフグ以外のフグはすべて有毒であるというフグ一般の毒についての知識しかなかった旨述べている。
しかしながら、右(一)の(1)の認定のように、クサフグの購入は、約一年半の長期間にわたり、購入した数量も極めて多いのである。また、右(一)の(2)認定のように、被告人は、クサフグの購入に際し、自己の身分や購入目的について偽りを述べている。さらに、右(一)の(2)ないし(4)認定のように、被告人は、右購入当時、フグやフグ毒についてかなりの知識を有していたことが窺われる上、クサフグよりも大きいサバフグやショウサイフグを購入せず、毒性の強いクサフグのみを購入している。そして、右(一)の(5)認定のように、被告人は、昭和六一年にクサフグの購入先に口止めの電話をしているのである。しかも、後記六の1(三)の(2)でみるように、被告人が食品会社の設立を計画していたということ自体も甚だ疑わしいのである。したがって、これらの事情に照らすと、クサフグの購入の目的等について述べる被告人の原審公判廷及び当審公判廷における右供述は、信用することが困難である。
3(1) また、関係各証拠によれば、被告人のメタノール及び無水エタノールの入手について、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 被告人は、昭和五九年六月以前から昭和六〇年六月五日までの間、東京都荒川区西日暮里二丁目二四番五号所在の十全堂薬局(経営者C)において、多数回にわたり、五〇〇ミリリットル入りメタノール(燃料用で、白いポリ容器に入っており、ラベルに「燃料アルコール」や「メタノール」等の表示がされているもの)を多数購入し、その都度、毒物及び劇物譲受書に署名したこと、その回数及び数量は、毒物及び劇物譲受書が現存している分に限っても、昭和五九年六月一六日(数量四本)、同年六月二〇日(数量不明)、同年一一月一日(数量五本)、昭和六〇年四月七日(数量五本)、同年五月一〇日(数量六本)、同年六月五日(数量六本)及び日付は不明なもののそのころ(数量不明)の、七回にわたり、少なくとも合計二六本に及んでいること
(2) 被告人は、右購入に際し、メタノールの購入の目的につき、右薬局の経営者のCに対し、模型飛行機の燃料に使う旨説明したこと
(3) 被告人は、時期は必ずしも明確でないが、昭和五七年ころから昭和六〇年一一月ころまでの間、同区西日暮里二丁目一八番五号所在の薬ヒグチ西日暮里店(薬剤師P)において、数回にわたり、五〇〇ミリリットル入り無水エタノール(消毒用で、茶褐色の遮光ガラス瓶に入っており、ラベルに「無水エタノール」と表示されたもの)を購入したこと、無水エタノールは、劇物に指定されていないので、その購入の際に、毒物及び劇物譲受書に署名する必要はなかったこと
(4) 被告人は、右購入に際し、最初から無水エタノールが欲しい旨告げ、同店店員のOから、「無水エタノールは、薄めないと使えないですよ。何にお使いですか」などと尋ねられ、「いいんですよ。父が注射器を消毒したり、射つまねをする時に、消毒をするのに使いますが、飼っている犬や猫に使うだけですから」などと答えたこと
(5) 無水エタノールは、エチルアルコールの純度が九九・五パーセント以上のものであり、消毒用エタノールは、エチルアルコールの純度が七六・九パーセントから八一・四パーセントまでのものであること、無水エタノールは、濃度が高く作用が強いため、家庭で消毒用に使う場合には精製水で薄める必要があり、消毒用には、通常、消毒用エタノールが用いられること、前記薬ヒグチ西日暮里店においては、無水エタノールと消毒用エタノールの両方を販売していたこと
(6) メタノール及びエタノールは、物質の中に含まれている各種化合物を溶解させて抽出し、それを濃縮する場合に、その有機溶媒として用いることができるものであること、メタノールは、エタノールよりも抽出効率がよいこと
(7) 前記薬ヒグチ西日暮里店は、正月三が日以外はすべて営業していたこと
などの事実が認められる。
しがたって、被告人が、メタノール及び無水エタノールを大量に入手したことがあり、これらを有機溶媒として用いることによって、トリカブト毒やフグ毒を抽出して濃縮することが可能であったことが明らかである。
(二) なお、被告人は、メタノール及び無水エタノールの購入の目的等につき、原審公判廷における供述中で、私は、犬の消毒や手の消毒のために、ヒグチ薬局から無水エタノールを購入したのであり、ヒグチ薬局が休みの時や品切れの時に十全堂薬局に行って買った、私は、今の今まで十全堂薬局でもエタノールを買っていたものと誤解していたのであり、多分、私の発音が悪くて、十全堂薬局の人がメタノールと聞き違えたのではないかと思う旨供述している。また、被告人は、当審公判廷における供述中で、私は、消毒用のほか、夏子の和服の汚れ落としやコーヒーのサイフォンの燃料用に使用する目的があったので、消毒用エタノールではなく、無水エタノールを購入した、私が、原審で、ヒグチ薬局が休みの時に十全堂薬局で買ったと述べたのは、全くの記憶違いで、電車通勤をしていたことからヒグチ薬局が開店する前に購入する必要がある場合に、十全堂薬局で買ったのである旨述べている。
しかしながら、右(一)の(1)のように、被告人は、多数回にわたり、極めて多量のメタノールを購入しているのである。また、右(一)の(1)及び(3)認定のように、メタノールとエタノールは、ラベルにその旨が明示されており、容器の形状も異なっている上、被告人は、メタノールを購入する都度、毒物及び劇物譲受書に署名しているのであって、被告人がエタノールであると誤信したままメタノールを購入したものとは考え難い。さらに、右(一)の(2)及び(4)認定のように、被告人は、メタノールや無水エタノールの購入に際し、購入の目的について偽りを述べている。しかも、右にみたように、被告人は、無水エタノール等を購入した目的や十全堂薬局で購入した理由について、原審公判廷と当審公判廷とで不自然に供述を変遷させている。したがって、これらの事情に照らすと、無水エタノールの購入の目的等について述べる被告人の原審公判廷及び当審公判廷における右供述は、信用することが困難である。
4(一) さらに、関係各証拠によれば、被告人のエバポレーターの入手について、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 被告人は、昭和五七年六月七日に、東京都千代田区鍛冶町二丁目三番一号所在の神田高野ビル一階の高野理化硝子株式会社において、ロータリーエバポレーター一式を付属品とともに代金合計一四万九五〇〇円で購入したこと
(2) 被告人は、同年七月九日に、同社において、ロータリーエバポレーターの部分品であるガラスセットを代金二万六〇〇〇円で購入したこと
(3) 被告人は昭和五八年三月二三日に、同社において、ロータリーエバポレーター一式を付属品とともに代金合計一二万四八〇〇円で購入したこと
(4) エバポレーターは、有機溶媒を用いて成分物質を抽出した試料を有機溶媒とともにフラスコに入れ、これを減圧しながら加熱することによって、試料の濃度を高めるという試料濃縮のための器械であること、これを操作するに当たり、一回に使用する有機溶媒の量は、抽出した試料と一緒に入れる分が約三〇〇ミリリットル、操作後にフラスコに付着した高粘度の試料を採取するために用いる分が約一〇〇ミリリットルであること
(5) エバポレーターのガラス部品が壊れた場合には、当該部品のみ購入することが可能であること
(6) エバポレーターは、大学の薬学部や製薬会社の研究機関等が主なユーザーであって、一般人が購入するということはほとんどないこと
などの事実が認められる。
したがって、被告人が抽出された毒を濃縮することができるロータリーエバポレーターを入手したことがあったことは明らかである。
(二) そして、関係各証拠によれば、被告人のエバポレーターの使用について、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 被告人は、昭和五八年九月一六日ころから昭和六〇年一一月三〇日ころまでの間、東京都荒川区東日暮里<番地略>所在の晴光荘二階七号室を賃借して使用していたこと、警視庁は、昭和六三年七月一日に同室の畳六枚(被告人の退去後、畳表は取り替えられていた。)を押収し、そのうち三枚の畳のわらについてはエタノールによる抽出作業を行い、その抽出液と残りの畳三枚のわらからアコニチン系アルカロイドが検出されるか否か等について、水柿教授に鑑定を嘱託したところ、同室の窓際北端の畳のわらの抽出液と西側流し台脇の畳のわらから、アコニチン系アルカロイドであるメサコニチンと認められる物質が検出されたこと
(2) 被告人が晴光荘を使用していたころ、晴光荘には五、六世帯が居住していたが、一世帯以外はすべて単身者で、被告人を含めて二世帯がルームクーラーを使用し、電気(許容量三〇アンペア)及び水道は、共同で使用していたこと、晴光荘全体の水道使用料は、昭和六〇年八月から同年一一月までの四か月間が約三四五立方メートルであり、前年同期の約三〇五立方メートル、前々年同期の約二七八平方メートルをかなり上回り、また、被告人が晴光荘を退去した後の昭和六〇年一二月から翌六一年三月までの四か月間は約一九六立方メートルと大幅に減少していること、晴光荘においては、昭和四三年ころ以降、共同ヒューズが飛んだことはなかったが、被告人が晴光荘を使用していたころの夏、被告人のほか二人の住人しかいなかった際に、同じ日に二度にわたって、共同ヒューズが飛んだこと
(3) 被告人は、晴光荘を使用していたころの夏、晴光荘二階七号室の窓を閉め切り、窓と窓枠の透き間から直系五、六センチメートルくらいの蛇腹のようなホースの口を部屋の外に出していたこと、被告人が使用していた同室は、時折、薬品のような異臭や魚を焼いたような異臭がしていたこと
(4) 被告人は、昭和六〇年一一月一四日ころから昭和六一年九月一二日ころまでの間、大阪府寝屋川市香里南之町<番地略>所在のグランドハイツ三号館一〇一号室を賃借して使用していたこと、同室の水道使用料は、同年一月一〇日検針時(一二月分及び一月分)が約六立方メートル、同年三月一五日検針時(二月分及び三月分)が約三立方メートル、同年五月二〇日検針時(四月分及び五月分)が約二三立方メートル、同年七月一〇日検針時(六月分及び七月分)が約一立方メートル、同年九月一六日検針時(八月分及び九月分)が約〇立方メートルであり、同年四月分及び五月分の水道使用料が際立って多いこと、右約二三立方メートルという水道使用料は、同室で使用されていた浴槽で入浴するとした場合、三九回分の入浴回数(入浴できる範囲である浴槽の底から約六〇センチメートルの位置まで水を入れると、約〇・五八立方メートルの水量となるので、これを一回分とし計算したもの)に相当する量であるところ、被告人は、同年四月及び五月当時は、大阪市城東区関目<番地略>所在の寺崎ビル七〇二号室において、秋子と同居していたこと
(5) 被告人は、昭和六三年一一月一日ころから平成二年一一月三〇日ころまでの間、東京都足立区青井<番地略>所在のエスポワールトーキン四〇一号室に居住していたこと、警視庁は、被告人が同室を退去する際にそれまで使用していたカーペット二枚(肌色のものとピンク色のもの)の処分を委ねた者から、右カーペット二枚の任意提出を受け、それを切断した切れ端からアコニチン系アルカロイドが検出されるか否か等について、水柿教授に鑑定を嘱託したところ、右肌色カーペットの切れ端から、アコニチン系アルカロイドであるメサコニチンと認められる物質が検出されたこと
(6) 被告人は、平成二年一二月ころから平成三年六月九日に業務上横領及び横領の被疑事実で逮捕されるまでの間、札幌市北区北三二条西<番地略>所在のマンション「シャトー32」三一〇号室を賃借して居住していたこと、警視庁は、同年七月二〇日に同室の冷蔵庫内から密封蓋付きガラス瓶二個を押収し、トリカブト毒及びフグ毒の含有の有無等について、水柿教授に鑑定を嘱託したところ、そのうち一個の密封蓋付きガラス瓶から、アコニチン系アルカロイドであるヒパコニチン、メサコニチン及びアコニチンが検出されたこと
(7) エバポレーターを使用する場合には、減圧と冷却のために、約二〇分ないし三〇分の間、水道の蛇口を全開状態にして水道水を使い続ける必要があること、水道の使用量は、通常の家庭用の水道を全開状態で使用すると、一時間に約六立方メートルであること
(8) 水道の蛇口に二又管を使ったり、減圧器具のアスピレーターから流出する水をチューブで冷却器に直結させて流入させたりすることによって、水道の蛇口が一つでも、エバポレーターを使用することができること
(9) エバポレーターを使用するための電気量は、一〇〇ボルトで六アンペアであること
(10) エバポレーターを室内で使用した場合、有機溶媒の強い臭気が室内に発生するため、局所排気装置や排気用ホースなどを使用して臭気を室外に出し、換気する必要があること
(11) 警察官らが、トリカブトの塊根からメタノールを用いてトリカブト毒を抽出して濃縮する実験を行ったところ、その濃縮液は、甘酸っぱいような、古い魚を焼いたような臭いがしたこと
などの事実が認められる。
したがって、被告人が購入したロータリーエバポレーターを使用したことがあったことは明らかである。
(三)(1) ところで、被告人は、エバポレーターの購入の目的について、次のような供述をしている。
a 被告人は、司法警察員に対する平成三年六月一二日付け供述調書(原審検察官請求証拠番号乙第一〇号)中で、食料品の製造に使用する水質の検査をするためにエバポレーターを購入した旨述べている。
b 被告人は、原審第一二回及び第二四回各公判期日における供述中で、一回目はおもちゃ程度のつもりでエバポレーターを購入し、二回目は、もうちょっと具体的に何か、例えば、醤油や葡萄酒を蒸留してみたい程度の考えでエバポレーターを購入した旨述べている。
c もっとも、被告人は、原審第二五回公判期日における供述中で、「五八年に初めてフグの毒の問題とトリカブトの問題とがあったので、こういうことも含めて、塩分のことやいろいろな興味のことがあって購入しました」と述べ、エバポレーターの購入にフグ毒及びトリカブト毒との繋がりがあったことを一部認める趣旨の供述をしている。
d 被告人は、当審公判廷における供述中では、当時、設立を計画していた食品会社では、塩分の取り過ぎを最も重要なテーマにすることにしていたので、鮭の塩引きやウインナーソーセージのように塩分の強い物から塩分を抜いて、その塩分がどの程度かを調べてみたいと思って、エバポレーターを購入した旨述べている。
(2) しかしながら、エバポレーターの購入の目的について述べる被告人の右供述は、不自然に変遷しているのみならず、トリカブト毒及びフグ毒を濃縮する以外の目的でエバポレーターを購入した旨述べる部分は、右(一)及び(二)認定の各事実とも符合しないものである。また、後記六の1(一)認定のように、被告人は、当時、金銭的に著しく困窮した状態にあったのであり、軽い興味程度で、高価なエバポレーターを繰り返し購入したということは考え難いところである。そして、仮に被告人が食品会社の設立を計画していたとしても、そのために、被告人自らが、専門的なエバポレーターを購入して、食料品の成分の濃縮実験を行うというのは、極めて不自然であり、しかも、後記六の1(三)の(2)でみるように、被告人が食品会社の設立を計画していたということ自体も甚だ疑わしいのである。したがって、これらの事情に照らすと、被告人の右供述中、エバポレーターの購入の目的につき、トリカブト毒及びフグ毒を濃縮する以外の目的であった旨述べる部分は、信用することが困難である。
(四)(1) また、被告人は、エバポレーターの使用について、次のような供述をしている。
a 被告人は、司法警察員に対する前記供述調書中で、私は、ヒーターで加熱し、ビーカー用の物に水を入れて、実際にやろうとしたら、晴光荘のヒューズが切れ、アパートで騒ぎになったので、それ以上の実験は中止した、この器具は、大阪の寺崎ビルのマンションに運んだが、その後、一度も実験をすることなく、秋子の死亡後の引っ越しの際に処分した旨述べている。
b 被告人は、原審第一〇回、第一一回及び第一三回各公判期日における供述中で、トリカブトとフグをアルコールに漬けてトリカブト毒とフグ毒を抽出したことは認める一方で、エバポレーターを使ってそれらを濃縮したことについては否定し、次のように述べている。すなわち、私は、昭和五七年一二月のトリカブトの植え替えの時に、トリカブト二個の根と茎とを切って、アルコールに漬け、トリカブト毒を抽出したことがある。私は、昭和六〇年の五月か六月ころ、フグを料理の実習に使用した後、またいつか機会があったらやってみようと思って、身と皮と肝臓をそれぞれ瓶に入れてアルコールに漬けて保存したこともある。私は、このようなトリカブト毒の抽出液とフグ毒の抽出液を逮捕される八か月前くらいまで持ち歩いていたのであり、大阪にも持って行き、平成二年一〇月までエスポワールトーキン四〇一号室にも置いておいた。私は、それらの抽出液をガラス皿に少し入れてドライヤーで乾かしてみたことはあるが、エバポレーターを使って、それらの抽出液を濃縮したことはない。被告人は、以上のような趣旨の供述をしている。
c そして、被告人は、エバポレーターの使用の有無自体については、原審第一二回公判期日における供述中で、私は、コーポ塚田で、購入したエバポレーターを組み立て、水をフラスコに入れてセットしたが、留め金を回した際にフラスコがスポッと落ちて壊れ、フラスコが取り替えられなかったので、エバポレーターを新しく購入した、私は、晴光荘で、そのエバポレーターを組み立てて試してみようと思ったが、晴光荘は水道の蛇口が一つであったので、実験ができず、減圧試験だけやった、水道への接続部分が、水圧でスポンと外れるので、減圧試験は一、二回でやめた、私は、ヒューズを飛ばしたが、それは、テレビで高校野球を見ながらクーラーを作動させていたからであることを最近思い出した旨述べている(なお、被告人は、後記六の1(二)の(1)b認定のように、昭和五六年一〇月から昭和五八年九月までの間、コーポ塚田三〇三号室を賃借しており、また、右(二)の(1)認定のように、昭和五八年九月から昭和六〇年一一月までの間、晴光荘二階七号室を賃借している。)。
d ところが、被告人は、原審第二四回公判期日における供述中で、私は、エバポレーターのウォーターバスに水を入れて加熱し、なす型フラスコに塩水を入れてこれを回転させながら、沸騰、蒸発させたが、水道の水圧でゴム管が外れ、音も大きかったので、二回行っただけでやめてしまった旨述べている。
e また、被告人は、当審公判廷における供述中で、私は、昭和五七年の七月から九月の間に、エバポレーターに水を入れて蒸発実験を行ったが、不成功だったため、途中でやめた、私は、昭和五八年の一〇月か一一月に、新たに購入したエバポレーターに食塩水を入れて、蒸発、濃縮の実験をしたが、水道の圧力が強くてできなかったため、途中でやめた、私は、エバポレーターをソフトタウン池袋とタックビルの各ごみ捨て場に捨てた旨述べている。
(2) しかしながら、エバポレーターの使用について述べる被告人の右供述は、不自然に変遷しているのみならず、右(一)及び(二)認定の各事実とも符合しないものであって、信用することが困難である。
5(一) そして、関係各証拠によれば、、被告人のマウスの入手について、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 被告人は、昭和五七年ないし昭和五八年ころ、東京都練馬区春日町六丁目一〇番四号所在の株式会社日本医科学動物資材研究所において、二、三回にわたり、一回当たり五〇匹の実験用マウスを購入したこと
(2) 被告人は、昭和六一年四月二六日ころ、大阪府摂津市鳥飼西二丁目二八番七号所在のアウズ実験動物の店(経営者○○○○)において、実験用マウス五〇匹を購入したこと
などの事実が認められる。
(二) なお、被告人は、マウスの購入の目的等につき、原審公判廷及び当審公判廷において、マウスの購入は、当時、栄養食品を宅配する食品会社の設立を計画していたことと関係があり、昭和五九年春に日本医科学動物資材研究所からマウス五〇匹を購入したのは、塩分の取り過ぎが体に与える影響を調べるためであり、昭和六〇年夏に右研究所からマウス五〇匹を購入し、昭和六一年四月にアウズ実験動物の店からマウス五〇匹を購入したのはいずれも、フグの各部位の毒性を調べるためと、トリカブト毒の抽出液の毒性を調べるためであった、もっとも、右研究所から購入したマウスにフグ毒を注射したところ、マウスが悲惨な死に方をしたので、かわいそうになり、それ以外には、マウスに対するフグ毒及びトリカブト毒の実験は行っていない旨供述している。
しかしながら、仮に被告人が食品会社の設立を計画していたとしても、そのために、被告人自らが、大量のマウスを購入してフグ毒やトリカブト毒の動物実験を行うというのは、極めて不自然であり、しかも、後記六の1(三)の(2)でみるように、被告人が食品会社の設立を計画していたということ自体も甚だ疑わしいのであるから、マウスの購入の目的や動物実験の実施状況等に関する被告人の右供述は、信用することが困難である。
6 さらに、関係各証拠によれば、被告人のカプセルの入手について、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 被告人は、時期は必ずしも明確でないが、昭和五七年ころから昭和六〇年一一月ころまでの間、前記薬ヒグチ西日暮里店において、週に一、二回の割合で、風邪薬のフル・カントジン(二〇カプセル入り。赤と緑の二色合わせのサイズ〇号のもの)、強肝剤のレバゴルト[5](六〇カプセル入り。赤とグレーの二色合わせのサイズ〇号のもの)及び鎮痙剤のパボランカプセル(一二カプセル入り。白色のサイズ〇号のもの)を購入していたこと、被告人は、昭和六〇年九月ころには、製造中止となったパボランカプセルの在庫品七、八個を全部まとめて購入し、一度に一〇〇個近いカプセルを入手したこと、その後、被告人は、パボランカプセルに代わって発売されたリンデルカプセル(一二カプセル入り。緑色のサイズ二号のもの)をも購入したこと
(2) 被告人は、右購入に際し、同店店員のOに対し、「おじいちゃんが、老人性痴呆症で、自分が医者になったつもりで、近所の人たちに配って歩くのです」などと説明したことなどの事実が認められる。
7 前記1ないし6認定のように、被告人が、ほぼ時期を同じくして、トリカブト、クサフグ、メタノール、無水エタノール、実験用マウス及びカプセルを多量に購入するとともに、ロータリーエバポレーターを購入し、これを使用したことがあったことなどを合わせ考えれば、被告人は、トリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを自ら作成することが十分に可能であったと認められるのである。
六 以上のとおり、被告人は、本件当時、秋子と直接的な接触のできた者であり、また、自らトリカブトからトリカブト毒を抽出するなどして、トリカブト毒やフグ毒を詰めたカプセルを作成することのできる者であったと認められるのであり、被告人以外には、右二つの要件を充たす者はいないのであるが、さらに、被告人には、秋子を殺害する動機となるような事情があったのかどうかについて検討する。
1(一) まず、関係各証拠によれば、被告人の生活状況や経済状況等について、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 被告人は、昭和五五年一二月に、業務用空調機の製造販売を業とする日本ピーマック株式会社を退職した後、無職で無収入の状態であったが、銀座のクラブ等で豪遊し、ホステスに宝石、香水、洋服、家具、電化製品等を買い与えるなどして、多額の金員を費消したこと、被告人は、これらの遊興費や生活費を捻出するため、知人やいわゆるサラ金業者等から多額の借金をするとともに、所有していた分譲マンション三戸のうち、二戸を昭和五六年一一月と昭和六〇年二月に合計七八〇〇万円で売却したほか、一戸(前記ソフトタウン池袋一一〇三号室)を担保に、昭和五九年一月にシティコープ・クレディット株式会社から、同年七月にアイク信販株式会社から各一〇〇〇万円を借り入れたこと
(2) 被告人の妻であった甲野夏子(以下「夏子」という。)は、昭和六〇年九月三〇日に死亡したが、そのころ、被告人は、負債(約五二四五万円)が資産(約三四八〇万円)を約一七六五万円超過する状態にあり、同年一〇月四日に行われた夏子の葬儀の費用の支払にも事欠く状況で、同月八日にサラ金業者二社から合計一〇〇万円を借り入れて葬儀屋に対する支払を済ませたこと
(3) 被告人は、同月一六日に夏子の死亡保険金一〇二三万円余りを受け取ったが、昭和六一年一月始めころまでに、サラ金業者への返済、前記グランドハイツ三号館一〇一号室及び前記寺崎ビル七〇二号室の賃貸借契約費用等の支払、飲食代金、秋子への贈物の購入などに全額費消したこと、そのため、被告人は、同月半ばころから、再びサラ金業者から多額の借金をするようになったこと
(4) 被告人は、右(1)認定のように、前記ソフトタウン池袋一一〇三号室を担保にアイク信販株式会社から一〇〇〇万円を借金したものの、その返済に窮し、担保権の実行により、被告人に残された唯一のマンションの居室である同室を失うおそれが生じたことから、同年二月三日、同室を担保に、いわゆる高利貸しである三和信用こと乙から高金利で一八〇〇万円(一〇〇〇万円につき五か月で一五パーセント、八〇〇万円につき三か月で一二パーセント)を借り入れ、右信販会社やサラ金業者に対する債務を返済したこと、その結果、被告人は、負債(約四六七四万円)が資産(約三七五一万円)を超過する金額は約九二三万円と減少したものの、右信販会社に対する長期借入金債務の代わりに、高利貸しに対する短期借入金債務を負うことになり、返済のための資金繰りは一層逼迫したものになったこと
(5) 被告人は、同年二月から毎月、ダイナースクラブカードで富士銀行から三五万円ずつを借り入れ、また、同年三月四日にアコム株式会社から五〇万円を、同月一七日に株式会社レイク及び株式会社武富士から各五〇万円を、同年四月一日にプロミス株式会社から二〇万円を借り入れ、これらの借入金の中から、後記2(一)の(2)認定の各生命保険会社への第一回目の保険料の支払を行ったこと
(6) 被告人は同年三月ころ、株式会社西武百貨店宝飾部に対し、以前から一〇〇〇万円で売却を依頼していた宝石八点につき、税金を納めるため急遽お金が必要になったと言って、三〇〇万円でよいから誰かに売却してほしい旨頼み、同年四月一〇日ころ、その売却代金三八〇万円を受け取ったこと、被告人は、右三八〇万円でサラ金業者に対する借金をいったん返済したものの、同年五月七日には、再びレイク、アコム及びプロミスのサラ金業者三社から合計一二〇万円を借り入れ、同月一二日に引き落とされるダイナースクラブカードの利用代金約一〇九万円を決済したこと
(7) 被告人は、秋子が死亡した同月二〇日当時、負債(約四九二二万円。生命保険契約の保険料債務を除く。)が資産(約三一〇〇万円)を約一八二二万円超過する状態にあり、さらに、同年六月一〇日を決済日とするダイナースクラグカードの利用代金も、石垣島旅行の費用を含み約一四五万円に上っていたこと
(8) 被告人は、同年五月二〇日夜、Eらに対し、「お金がないので、秋子の財布が欲しい」などと言って、秋子の遺品である財布を受け取ったこと、また、被告人は、同月二六日ころ、秋子の両親らに対し、「大阪で新しい会社を設立するために来たんだけれども、秋子がこういうふうに亡くなってしまって、事業計画も失敗してしまったんだ」「もう全部ゼロになったので、収入が全然入らない」などと言って、秋子の両親から三〇万円を貰っこと
(9) 被告人は、同年六月二日、義母から一二〇万円を借り受けて、同月一〇日に引き落とされるダイナースクラブカードの右利用代金約一四五万円を決済したこと
(10) 被告人は、同月二七日、矢野嘉章に対し、前記ソフトタウン池袋一一〇三号室を三〇〇〇万円で売却し、シティコープ・クレディット株式会社と三和信用こと乙に対する債務を返済したこと、その際、被告人は、矢野嘉章に対し、「大阪に帰る旅費がないので、一〇〇万円くらい欲しい」などと言って頼み、同人から五〇万円か一〇〇万円くらいを受け取ったこと
(11) 被告人は、同年八月、株式会社富士銀行室町支店の普通預金口座の預金残高が不足したため、同月四日に引き落とされる西武カストマーズカードの利用代金約六二万円、同月一一日に引き落とされるダイナースクラブカードの利用代金約一〇八万円、同年九月一〇日に引き落とされるダイナースクラブカードの利用代金約六〇万円がいずれも支払不能となったこと、また、被告人は、そのころ、サラ金業者に対する返済もできなくなり、義母が被告人に代わって返済したこと
などの事実が認められる。
(二)(1) また、被告人は、自らの職業について、関係者らに対し、次のように説明していたことが認められる。すなわち、
a 被告人は、昭和五五年一二月に日本ピーマック株式会社を退職する際に、同僚のKに対し、「古手の税理士さんの看板を預かっている得意先が約三〇軒ほどあるので、それで独立してその仕事を続けていきたい。将来はコンピューターの時代に入るので、コンピューターを駆使した経営コンサルタント的な仕事をしていきたい」などと言ったこと
b 被告人は、昭和五六年一〇月から昭和五八年九月までの間、東京都荒川区東日暮里三丁目二六番五号所在のコーポ塚田三〇三号室を賃借していたが、入居する際に、家主である××××に対し、「仕事は、経営コンサルタントをしており、客は名古屋や関西の方にいる」などと言ったこと、また、被告人は、前記五の4(二)の(1)認定のように、同月一六日ころ、晴光荘二階七号室を賃借する際に、家主である△△△△に対し、「経営コンサルタントをやっております。事務所としてお部屋をお借りします」などと言ったこと
c 被告人は、日本ピーマック株式会社を退職した後、「甲野経営経理事務所 甲野一郎」と記載した名刺を作成して使用していたこと、その名刺には、業務内容として、「コンピューター会計 企業会計システムの立案 原価計算制度の設定 その他経理事務全般」又は「コンピューター会計 企業会計制度の立案設定 原価計算システムの立案設定 その他企業会計全般」と記載し、事務所として前記コーポ塚田三〇三号室を記載したり、あるいは東京事務所として前記ソフトタウン池袋一一〇三号室、大阪事務所として前記グランドハイツ三号館一〇一号室等を記載したりしていたこと、その名刺に、食品の研究その他食品会社に関係する記載をしたことはなかったこと
d 被告人は、昭和五八年一〇月に日本信販株式会社から一〇〇万円を借り入れた際に、融資申込書に、勤め先を「甲野経営経理事務所」、所在地を前記コーポ塚田三〇三号室、勤続年数を「一七年」、税込み年収を「一一〇〇万円」などと記載したほか、右(一)の(1)認定のようにシティコープ・クレディット株式会社、アイク信販株式会社、サラ金業者等から借金をした際にも、融資申込書に、勤務先等について同様の記載をしたこと
e 被告人は、昭和六〇年三月ころ、第一生命保険相互会社(以下「第一生命」という。)の保険調査員の高木寛一に対し、「計理士をやっている。経理コンサルタントもやっている。税理士と一緒に仕事をしている」などと言ったこと、被告人は、高木寛一に対し、食品関係の研究をしているというような話はしなかったこと
f 被告人は、同年一一月末から同年一二月初めころにかけて、EやFらに対し、前記c掲記の名刺を交付しながら、「公認会計士ではないけれども、会計士をしている。中小企業何十社かを相手に、経営コンサルタントとして、経理の裏のこともいろいろやっている」「マンションを売却した金は、夏子に贅沢をさせるために使い、残りの五〇〇〇万円くらいをある会社に融資している」などと言ったこと
g 被告人は、そのころ、退職後も友人として付き合っていたKに対し、「経営コンサルタントをしている。古手の税理士さんの看板を借りながら、三〇軒ほどのお得意先を顧問として持っている。顧問料は、月に一軒当たり五万円くらい入ってくる」「月収は、約一五〇万円ほどある」などと言ったこと、また、被告人は、Kから、大阪に行く理由を尋ねられた際、「お得意先の五、六人の方々と一緒に、大阪に食品会社を興しに行くんだ。食品会社については、一年くらい経てば目処が立つので、東京に戻る予定だ。得意先は、企業秘密だから、教えられない」などと答えたこと
h 被告人は、同月一八日付けで秋子の両親あての手紙を作成し、秋子が同月二一日ころに青森県南津軽郡碇ケ関村所在の同女の実家に帰った際に、これを持たせたこと、その手紙には、二八歳で甲野経営経理事務所を開設したが、夏子の看病のため、仕事も年収一〇〇〇万円程度にまで整理した、この三年間は、二〇年間続いた取引先の中から、食品関係の確実な取引先一二社を選んで、一つの連合体にまとめ、仕入部門から製造部門までを一本化し、販売部門のみを独立採算制とする一二の会社として運営していく方式を指導し、現在、それを達成したところである、この一二社は、大阪に支店を開設しているところが多いので、一年間の予定で大阪に行き、その取りまとめと経営指導を行った後、東京に戻り、新しく発足する仕入製造会社への経営参加と販売会社一二社の経営指導が主な仕事になる旨記載されていたこと
などの事実が認められる。
(2) しかしながら、関係各証拠によれば、被告人の銀行預金口座には、被告人が甲野経営経理事務所を営んだり、経営コンサルタントや経理事務の仕事をしたりして収入を得ていたような金銭の出入りは全くないことが認められ、その他これを窺わせるような状況は一切存しないのである。そして、被告人も、原審公判廷における供述中で、私は、日本ピーマック株式会社を退職した後の昭和五六年初めころから、経営コンサルタントや甲野経営経理事務所という名称を名乗るようになったが、実際には、そのような仕事は何らしておらず、それによって収入を得ることも全くなかったのであり、マンションを売却した代金等で何とか生活を維持していたのであって、知人等には嘘をついていたのである旨供述している。したがって、被告人が、甲野経営経理事務所を営んだり、経営コンサルタントや経理事務の仕事をしたりして収入を得ていた事実は存しないというべきである。
(三)(1) さらに、被告人は、食品会社の設立の計画について、次のように述べている。
a 被告人は、後記4(一)の(4)認定のように生命保険会社四社を被告として提起した民事訴訟の原告本人尋問中で、私は、農家から生鮮食料品をじかに仕入れて、単身者向けに新鮮なものを作ってスーパー等で販売することを業務とする食品会社の設立を計画していたのであり、昭和六一年七月ころには新会社が発足しそうであった。協力者は全部で一三人で、私は一億円くらいを出資した、私が昭和六〇年一二月に大阪に行ったのは、私の関与していた会社の大阪の支店と、七月から始めようとしていた会社の販売先、野菜その他の仕入先等の調査をするためであった、私は、取引先の方から、大阪の市場調査をするとともに、自分たちの支店を見てくれという勧めがあって、大阪に行った旨述べている。
b 被告人は、司法警察員に対する前記供述調書中で、私は、単身者向けの加工食品の製造販売を目的とする食品会社の設立を計画した、これは、単身者が、一日に必要とする人間の栄養素を理想的に摂取するために、朝食、昼食及び夕食の献立をコースに分けてストアー等で買い求めることができるようにするものである、そのため、私は、晴光荘で、購入したネズミの腹部に食塩水を注射して、食品栄養素の実験をした旨供述している。
c もっとも、被告人は、原審公判廷における供述中で、私は、新会社を設立するために一億円を投資したことや、新会社から収入を得ていたことはなく、また、大阪に転居するに際して大阪に仕事の得意先やその支店があったという事実はない、私は、昭和五三年ころから食品会社を企画しており、昭和五六年ころから栄養食品を毎食ごとに宅配するヘルシーという名前の食品会社を具体的に作ろうと思い、その献立や資料を一つ一つ作っていった、私は、最初の家内である春子が死亡し、昭和五六年か昭和五七年ころに食品会社を設立しようと思って、春子の姉のJさんから投資をしてもらった、ところが、夏子と再婚し、夏子の病気で延び延びになり、昭和六〇年に新たな会社をやろうとして、Jさんから利息をプラスした再借入れの手続をとった、大阪に行って販路の調査や対外的な折衝をしたことはなかったが、あちこちの店で食事をしながら味付けとか嗜好とかを尋ね、大阪の人の食に対する好みについては一応調査をした旨述べている。
そして、原審で、被告人は、昭和六〇年夏から下書き作りをし、昭和六一年四月から同年七月までそれを清書したという「株式会社ヘルシー経営企画書」と題する書面の要旨を復元して、被告人の陳述書に添付し、証拠として提出している。
d 被告人は、当審公判廷における供述中で、食品会社の資本金四〇〇〇万円のうち、一〇〇〇万円については、ソフトタウン池袋を売却してローン二〇〇〇万円を支払った残りの金から自ら出資し、三〇〇〇万円については、◎◎楽器の経営者の◎◎さんに出資してもらうことを考えていた、◎◎さんは、一五年ほど前に知り合ってその後は会っていないが、数年前に手広く商売をやっていることを知り、出資をお願いするのにふさわしいと考えたのであり、そのほかには、出資をしてもらえるような具体的な候補者は挙がっていなかった旨述べている。
(2) しかしながら、被告人は、右(二)の(1)c認定のように、自分の名刺に、食品の研究その他食品会社に関係する記載をしたことはなく、また、右(二)の(1)e認定のように、高木寛一に対し、食品関係の研究の話は全く口にしていない。そして、被告人は、右(二)の(1)g認定のように、Kに対し、大阪への転居の話が出てきたころに初めて食品会社の話をしている。しかも、右(一)認定のように、被告人は、当時、金銭的に著しく困窮した状態にあったのであり、食品会社の設立の際に必要な出資者についても、確たるあてはなかった。加えて、食品会社の設立の計画に関する被告人の供述の内容は、右(1)でみたように、不自然に変遷しているのである。したがって、これらの事情に照らすと、食品会社に関する被告人の右供述は、信用することが困難であり、被告人が食品会社の設立を計画していたということは、甚だ疑わしいものであるといわざるを得ない。
2(一) また、関係各証拠によれば、被告人が秋子に生命保険を掛けた状況等について、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 被告人は、昭和六一年三月二七日に、大阪市内にある株式会社住友銀行京橋支店に保険料支払用の口座を開設するとともに、同市内にある三井生命保険相互会社(以下「三井生命」という。)、住友生命保険相互会社(以下「住友生命」という。)、明治生命保険相互会社(以下「明治生命」という。)及び安田生命保険相互会社(以下「安田生命」という。)の各営業所等を一人で相次いで訪れ、生命保険契約への加入の申出をしたこと
(2) 被告人は、その後、三井生命、住友生命、明治生命及び安田生命(以下「三井生命ほか三社」という。)に対し、秋子をして後記(3)の各生命保険契約の正式の申込みをさせるとともに、自ら後記(4)の各生命保険契約の正式の申込みをし、第一回目の保険料として、同年四月四日及び五日に三井生命、住友生命及び明治生命に合計二九万六三八〇円を、同月一四日に安田生命に六万五一五〇円を支払ったこと
(3) 被告人は、同年五月一日に、秋子をして、三井生命ほか三社との間で、同女を被保険者、被告人を保険金受取人とし、死亡保険金総額が一億八五〇〇万円(内訳は、明治生命が五〇〇〇万円、その余の三社が各四五〇〇万円)、月額保険料総額が一八万五五五〇円の各生命保険契約を締結させたこと
(4) 被告人は、同日、三井生命ほか三社との間で、被告人を被保険者、秋子を保険金受取人とし、死亡保険金総額が二億二〇〇〇万円(内訳は、明治生命及び安田生命が五〇〇〇万円、その余の二社が各六〇〇〇万円)、月額保険料総額が一七万五六八〇円の各生命保険契約を締結したこと
(5) 被告人は、三井生命ほか三社の担当者らに、老後保障が生命保険に加入する主たる目的である旨説明し、同人らから入院特約を付加することを勧められたが、右(3)及び(4)の各生命保険契約にはいずれも、入院特約を付さなかったこと、その結果、右各生命保険契約は、基本的に、高額の死亡保険金の受領に重点が置かれたものとなったこと、生命保険契約に入院特約が付加される場合には、入院保険特約の被保険者名が社団法人生命保険協会に登録される制度になっており、生命保険契約申込書にはその旨の記載があること
(6) 秋子は、同年四月初めころ、Dに対し、被告人から、会社の関係で、取引相手を信用させるために、会社役員の妻もどうしても保険に加入しろと言われたので、保険の契約に行っていた旨電話で告げていること
(7) 秋子は、被告人との結婚前の昭和五六年四月と昭和六〇年八月に、太陽生命保険相互会社(以下「太陽生命」という。)及び日本生命保険相互会社(以下「日本生命」という。)との間で、秋子を被保険者、同女の母のWを保険金受取人とし、死亡保険金総額が二四二一万円(内訳は、太陽生命が一二一万円、日本生命が二三〇〇万円)、月額保険料総額が三万九二一円の各生命保険契約を締結していたこと、また、秋子は、被告人との結婚後の昭和六一年三月二〇日に、太陽生命との間で、秋子を被保険者、被告人を保険金受取人とし、死亡保険金が一九四万一六〇〇円、月額保険料が六〇〇〇円の生命保険契約を締結していたこと
などの事実が認められる。
(二) 被告人は、前記1で認定したように、サラ金業者等から多額の借金をしているような状況の中で、右(一)で認定したように、生命保険会社を次々に訪れて生命保険契約への加入の申出を行い、秋子の死亡保険金総額が一億八五〇〇万円、自らの死亡保険金総額が二億二〇〇〇万円、二人分の保険料が年間合計四三三万円余り(月額合計三六万円余り)に及ぶという極めて高額の各生命保険契約を、短期間に相次いで自ら又は秋子をして締結させているのであって、この点、極めて不自然であるといわざるを得ない。
3(一) さらに、関係各証拠によれば、被告人が、当初、秋子に高額の生命保険を掛けていたことを関係者らに秘匿していた状況等について、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 被告人は、秋子の死亡当日である昭和六一年五月二〇日夜、八重山警察署において事情聴取を受け、佐和田勇警部補(以下「佐和田警部補」という。)から、「加入している保険関係について、すべて話してくれ。加入者、それから受取人をすべて話してもらいたい」などと言われた際、生命保険は、日本生命に二三〇〇万円、太陽生命に二〇〇万円加入しているが、秋子のお母さんがすべて受取人になっており、自分が受取人である保険はない旨説明したこと
(2) 被告人は、翌二一日午前中、秋子の死体の解剖を待っている間、Dら三名に対し、「これが逆だったら良かったのに。僕は、秋子受取りの保険に二億近く入っている、だからもしこれが逆だったら、秋子は、左団扇で生活できたのに」などと言ったこと、それに対し、Eが、「甲野さん、その逆はないんでしょうね」などと尋ねたところ、被告人は、「秋子が、自分に黙って、もし入っていれば分からないけれども、自分の受取りの保険は、数十万の年金保険しかない」などと答えたこと
(3) 被告人は、同日夜、石垣島に到着した秋子の父のUに対し、「秋子の女友達から、保険へ入っているんじゃないのと言われている。保険のことになると、親子でも目の色を変えるもんだから、お父さん、保険のことは言わない方がいいよ」などと言ったこと
(4) 被告人は、同月二三日明け方、秋子の仮通夜の席において、同女の姉のVから、「甲野さん、秋子に掛かっている保険はないんでしょうね」などと尋ねられた際、「ありません。一つだけ八万ぐらいになる保険があるけれども、それ以外の保険は、秋子は掛かっていない」などと答えたこと、それに対し、秋子の友人のRが、「秋子ちゃんから高額の保険に入ったと聞きました」などと言い、Dが、「私も聞いたけど、本当に入っていないの」などと尋ねたが、被告人は、「入っていない」などと言い続けたこと
(5) 被告人は、同月二四日、秋子の告別式及び火葬を終え、同月二五日、同女の両親、弟のV’及びVとともに大阪に行ったこと、被告人は、同月二六日、前記寺崎ビル七〇二号室の被告人方において、秋子の遺品を片付けていた際、同女の両親らに対し、保険受取人がWになっている、前記2(一)の(7)の太陽生命と日本生命の各生命保険の証券を渡しながら、「実は、秋子が新しく保険に入っていないと今まで言い続けてきたが、猫好きなおばさんが保険のことで勧めに来て、無理に勧められたので、入っていた。石垣島に行った当時は入っていないと言ったのは、秋子に死なれた直後で、茫然として入っていないと言ってしまった」「額については五〇〇〇万くらいだ」「あくまで年金型の保険で、将来の老後の保障が主たる契約内容になっている」「秋子にだけ掛けていたのではなく、自分も秋子が掛けている形にして、同じような内容をお互いに掛けて、結局、一人につき一口ずつ入っていた」などと言って、前記2(一)の(3)及び(4)の安田生命との各生命保険契約のことを打ち明けたが、その他の生命保険会社との各生命保険契約について告げることはしなかったこと
(6) 被告人は、同年六月二日、大阪市内にある安田生命梅田支社に連絡して係員の来訪を頼み、右被告人方を訪れた同支社副長の永原生吉らから、保険金請求関係書類を入手したこと、その際、被告人は、永原生吉らから、他社への生命保険の加入の有無について尋ねられ、太陽生命と日本生命のみで、他には加入していない旨答えたこと
(7) 被告人は、同月七日ころ、秋子のいわゆる仏壇の魂入れのため、同女の実家を訪れた際、Wらに対し、自分は保険金を請求する気持ちが更々なかったので、正直に全部を話さなかったが、実は、安田生命のほかに、更に二口の生命保険に入っており、全部で一億円か一億二千万円くらいになる旨告げたこと
(8) 被告人は、同年七月一日ころ、Kに対し、秋子が三井生命ほか三社の生命保険に加入しており、三井生命と安田生命の死亡保険金総額が九〇〇〇万円になる旨告げたこと
(9) 被告人は、同月五日ころ、秋子の四九日の法要のため、同女の実家を訪れた際、Wらに対し、実は、保険会社四社の合計一億八〇〇〇万円くらいの生命保険に加入している旨打ち明けたこと
(10) 被告人は、同年九月から一〇月ころ、Uから、「どういうつもりでこんな大きい保険に入ったのか」などと尋ねられた際、「都会ではこのぐらいは普通ですよ」などと答えたこと
(11) 被告人は、同年一一月ころ、Kに対し、「老後の保障のために年金型の保険に入ったが、保険会社の手続ミスによって、いわゆる一般的な死亡保険金になってしまった」などと言ったこと
などの事実が認められる。
(二) 右(一)で認定したように、被告人は、秋子に高額の生命保険を掛けていたことについて、秋子の死亡後しばらくの間はすべて秘匿し、秋子の遺体が火葬に付された後に、相手に応じて、順次小出しにする方法によって、少しずつこれを明らかにしていっている。また、被告人は、そのような高額の生命保険を掛けるに至った経緯についても、保険会社の手続ミスで死亡保険金になったなどと説明し、前記2で認定した各事実と明らかに異なる虚偽の事実を述べているのである。このような被告人の言動は、極めて不自然であるというほかない。
4(一) そして、関係各証拠によれば、被告人が秋子の死亡保険金を請求した状況等について、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 被告人は、昭和六一年五月三〇日、大阪市内にある株式会社三和銀行大阪駅前支店に保険金受取用の口座を開設したこと
(2) 被告人は、同年六月一〇日ころ、安田生命梅田支社を訪れ、永原生吉に対し、保険金請求書類を提出して、秋子の死亡保険金四五〇〇万円の支払を請求したこと
(3) 被告人は、同年八月五日ころ、東京都新宿区内にある明治生命契約サービス部新宿店頭課事務所、住友生命東京保全課事務所及び三井生命新宿支社において、代理人弁護士を通じて、右各社の係員らに対し、保険金請求書類を提出して、秋子の死亡保険金合計一億四〇〇〇万円の支払を請求したこと
(4) 被告人は、三井生命ほか三社から、右各生命保険契約の締結の際に秋子の自律神経失調症等の既往歴を告知しなかったという告知義務違反による契約解除等を理由に、秋子の死亡保険金合計一億八五〇〇万円の支払を拒まれるや、同年一二月一二日、東京地方裁判所に対し、右四社を被告として、右保険金等の支払を求める民事訴訟を提起したこと
(5) 東京地方裁判所は、平成二年二月一九日、右四社に対し、右保険金合計一億八五〇〇万円等の支払を命じる判決をしたが、右四社はいずれも、これを不服として東京高等裁判所に控訴したこと
(6) 右訴訟は、東京高等裁判所で審理されたが、同年一〇月一一日の弁論期日に、大野助教授が、控訴人側証人として出廷し、秋子の死因はトリカブト毒であるアコニチン系アルカロイドの中毒による急性心不全である旨証言したこと、
(7) 被告人は、同年一一月一三日、右訴えを取り下げたことなどの事実が認められる。
(二) 被告人は、前記3(一)の(7)認定のように、Wらに対し、自分は保険金を請求する気持ちが更々なかった旨述べているが、右(一)認定の各事実に照らせば、それが偽りであり、被告人には、何とかして秋子の死亡保険金の支払を得たいという強い執着心があったことが認められる。
5 前記1ないし4認定のように、被告人は、秋子の死亡当時、多額の負債を抱え、金銭的に著しく困窮した状態にあったこと、その一方で、被告人は、秋子に極めて高額の生命保険を掛け、自らがその保険金の受取人になっていたこと、被告人は、秋子の死亡後、保険会社各社に対し、死亡保険金の支払を求め、民事訴訟を提起していることなどに照らせば、被告人には、秋子を殺害する動機となり得るような事情ないし状況が十分にあったことが認められるのである。
七 さらに、秋子の死亡に至るまでとその後の被告人の行動等についてみると、以下に検討するように、被告人が甚だ不自然な行動をとっていることが認められる。
1(一) まず、関係各証拠によれば、秋子の日ごろのカプセルの服用状況とそれへの被告人の関わりについて、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 秋子は、かつてはピル以外には薬を飲むことはなかったが、昭和六一年三、四月ころ、東京都豊島区西池袋所在の麻雀店「ピンコロ」と同都板橋区徳丸所在の麻雀店「らりるれろん」において、Eに対し、「薬を飲むから、お水をちょうだい」などと言って、二回にわたり、ピル以外の薬を服用したこと
(2) 秋子は、同年三月二〇日ころ、前記寺崎ビル七〇二号室において、同室を訪れた太陽生命大阪支社の外交員の高倉武子に対し、「鼻血が出るのよ」「主人が薬を持って帰ってくれるから、それを飲んでいる」などと言ったこと
(3) 秋子は、同月二八日から同年四月三日までの間、同室を訪れた第一生命大阪東支社の支部長の小池力男に対し、「少々貧血気味なので、薬を飲んでいる」「白い薬です」「カプセルです」「ちょくちょく飲んでいる」「彼が特別に手に入れてくれた薬で、これを飲むと落ち着くんです。良く効きます」などと言ったこと
(4) 秋子は、同月ころ、前記麻雀店「ピンコロ」において、Fに対し、「あっ、忘れていた」などと言って、バッグの中から白いカプセルを出し、「主人が調合してくれた栄養剤なの」などと言いながらこれを服用したこと
(5) 秋子は、同月半ばころ、友人のGの勤め先のクラブで同女に会った際、同女に対し、「私は、甲野がくれた薬を飲んでいるから、大丈夫だ」「甲野が、私のために調合している薬だから、大丈夫よ」「強壮剤をカプセルに入れて私に渡してくれている」「東京に行ったらこれを飲みなさいと言って、来る度に渡される」「結構、これ効くのよね」などと言ったこと
(6) 秋子は、同年五月三日ころ、前記ソフトタウン池袋一一〇三号室において、同室を訪れたRに対し、ショルダーバッグの中からちり紙に包まれた白っぽい色のカプセルのような物を取り出して示し、「甲野さんが作ってくれた薬だ」「疲れた時に飲む薬だ」などと言ったこと
(7) 秋子は、同月中旬ころ、東京都新宿区歌舞伎町所在のライブハウス「キャロルハウス」において、友人のTに対し、ショルダーバッグの中からビニール袋に入った白いカプセルを数個取り出し、「一般的にいう強壮剤のようなものなんだ」「彼が、カプセルにわざわざ薬を詰めて私に手渡してくれる」「今、手持ちの薬がかなり少なくなってきたので、また、彼に作ってもらわなきゃいけない」「せっかく彼がわざわざ私のために作ってくれるんだから、飲まなきゃいけないんだ」などと言いながら、そのうち一個を服用したこと
(8) 秋子は、被告人との結婚前は、これといった病気もなく、至って健康であったが、昭和六一年一月二〇日ころに被告人とともに大阪に転居して以降、下痢、吐き気、寝汗、鼻血、頻尿、疲労感等の症状が時折現れるようになり、W、Vらの身内やG、E、F、Rらの友人に対し、その旨訴えていること
などの事実が認められる。
(二) 右(一)認定の各事実によれば、被告人は、遅くとも昭和六一年三月ころから、秋子に対し、栄養剤や強壮剤であるなどと説明して白色のカプセルを交付し、その服用を勧めて実際にこれを服用させることを継続していたこと、右カプセルの中には、被告人が、秋子のために、自ら特別に手に入れてわざわざ調合するなどしたものが詰められていたことが認められる。
2(一) 次に、関係各証拠によれば、被告人が秋子と結婚した経緯等について、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 被告人は、最初の妻である甲野春子が昭和五六年七月二〇日に死亡し、昭和五七年一〇月二八日に夏子と結婚したが、昭和六〇年九月三〇日に同女が死亡したこと
(2) 被告人は、前記五の4(二)の(4)認定のように、同年一一月一四日ころ、前記グランドハイツ三号館一〇一号室を賃借したこと
(3) 被告人は、同月一八日、前記クラブ「カーナパリ」において、ホステスとして働いていた秋子と知り合い、自らの職業を経営コンサルタントであるなどと偽った上、同月一九日、二一日、二二日と同店に通い続け、その都度、同女を指名してその歓心を買い、知り合ってから六日後の同月二四日に、帝国ホテルにおいて、同女に結婚を申し込んだこと
(4) 被告人は、その後も、頻繁に前記クラブ「カーナパリ」に通って秋子を指名し、同女に対し、ミンクのコート、スーツ、ダイヤの指輪等を贈るとともに、同女の友人であるD、E、F、Rらを次々と高級料理店等で接待し、自分と秋子との結婚に賛同を求めたこと
(5) 被告人は、同年一二月二日ころ、前記寺崎ビル七〇二号室を賃借したこと
(6) 被告人は、昭和六一年一月一日、秋子とともに同女の実家を訪れ、同女の両親から結婚の承諾を得たこと
(7) 被告人は、同月二〇日ころ、秋子とともに前記寺崎ビル七〇二号室に転居し、同年二月一三日、同女との婚姻届を提出したこと
などの事実が認められる。
(二) 右(一)で認定したように、被告人は、秋子と初めて会ったのが夏子の死亡から四九日目であり、金銭的に著しく困窮した状態にあったにもかかわらず、その日から連日のように秋子の働くクラブに通い、高価な贈物をするなどした上、知り合ってから六日後に同女に結婚の申込みをし、その一方で、手回しよく大阪のマンションを賃借し、知り合ってから三か月後に同女と二人で大阪に転居しているのである。このような余りに性急な結婚に向けての被告人の行動は、甚だ理解に苦しむものであり、被告人と秋子の結婚は、極めて不自然なものであったといわざるを得ない。
3(一) また、被告人は、原審公判廷における供述中で、被告人が秋子を伴って大阪に転居した理由について、第一に、東京を離れることによって、夏子の死亡に伴う心の傷を癒したかったからであり、第二に、食品会社の設立に向けた準備として、販路の開拓や関西の味の調査をしてみたいと思ったからであり、第三に、大阪に行くことで、それを口実にして前記ソフトタウン池袋一一〇三号室を売却しようと考えたからである旨述べている。
(二) しかしながら、被告人は、夏子の死亡後、前記五の4(二)の(4)認定のように、昭和六〇年一一月一四日ころには前記グランドハイツ三号館一〇一号室を賃借していながら、直ちに大阪に転居することをせず、なおも東京に残って、経済的に極めて困窮した状態にある中、わざわざ初めての店である前記クラブ「カーナパリ」を訪れたりしているのである。しかも、被告人は、前記2認定のように、同店で知り合った秋子に対し、自らの職業を偽って執拗に接触を持ち、高価な贈物をしてその歓心を買い、直ちに結婚の申込みをするとともに、同女の友人らを次々と接待するなどして、短期間のうちに秋子から結婚の承諾を得て同女とともに大阪に転居している。このように、同女との結婚に向けての性急な行動を含めた被告人の一連の行動は、妻を亡くして東京を離れたがっている傷心の夫の行動としては、余りにも似つかわしくなく、不自然なものである。また、関係各証拠によれば、被告人は、大阪において、秋子に仕事の内容を話さず、同女を前記グランドハイツ三号館一〇一号室に案内することもせず、毎日、朝夕の決まった時刻に被告人方を出て帰宅するという生活を繰り返していたこと、秋子は、知人も友人もいない大阪での生活に不満を感じて、東京に戻りたがっていたこと、被告人が、Kや秋子の友人及び両親らに対し、自分たちの大阪滞在の予定期間について、当初は一年間と説明していたのに、その後、時が経つに従って、昭和六一年の秋ころまでと言ったり、お盆ころまでと言ったり、六月ころまでと言ったり、あるいはゴールデンウイーク明けまでと言ったりするなど、次々と短縮された期間を告げていることなどの事実が認められる。そして、前記六の1(三)の(2)認定のように、被告人は、大阪で食品会社の販路の調査を行うようなこともしておらず、被告人が食品会社の設立を計画していたということ自体が甚だ疑わしいものである。したがって、被告人らの大阪への転居に食品会社の設立準備の目的があったという点についても、大いに疑問であるといわざるを得ない。さらに、前記六の1(一)の(4)認定のように、被告人は、昭和六一年二月三日に、三和信用ことZから短期かつ高金利で一八〇〇万円を借り入れることによって、前記ソフトタウン池袋一一〇三号室に対する担保権の実行を回避している。また、関係各証拠によれば、被告人が、同室を売却するために買手を探し始めたのは、秋子の死亡後の同年六月に入ってからのことであり、大阪に転居してからそれまでの間、同室を売却するための行動に出ていないことが認められる。したがって、同室の売却が、被告人らの大阪転居の理由でなかったことも明らかである。以上の事情に照らせば、大阪転居の理由を述べた被告人の右(一)掲記の供述は、信用することが困難である。
そして、被告人は、前記六の1(一)認定のように、極めて苦しい経済状態の中で、前記五の4(二)の(4)認定のように、大阪において、それほど離れていない距離にある前記グランドハイツ三号館一〇一号室と前記寺崎ビル七〇二号室の二つのマンションを同時期に借りていたのである。また、関係各証拠によれば、被告人は、昭和六〇年三月一〇日ころ、東京の第一生命新宿支社に対し、被告人を被保険者、最初の妻であった甲野春子の姉であるJを保険金受取人とし、死亡保険金が一〇〇〇万円の生命保険契約を申し込んだところ、同月二五日ころ、同社から、被告人の事業所の実体が不明であることを理由に、右申込みを断られたことが認められ、被告人が東京で生命保険契約の申込みをした場合には、同様にその申込みを拒絶されるおそれがあったことが窺われる。その一方で、被告人は、前記六の2(一)認定のように、大阪に転居した後の昭和六一年三月二七日に、大阪市内にある三井生命ほか三社を相次いで訪れ、秋子に高額の生命保険を掛けているのであって、転居後間もない大阪においては、生命保険契約への加入がそれほど困難ではなかったことが認められる。さらに、被告人は、前記五の5(一)の(2)認定のように、同年四月二六日ころ、アワズ実験動物の店から実験用マウス五〇匹を購入する行動にも出ているのである。
したがって、大阪転居の理由を述べた被告人の右(一)掲記の供述が信用できないことに加え、以上にみたような事情を合わせ考えると、被告人が秋子とともに大阪に転居したことは、甚だ不自然であるというほかない。
4(一) さらに、関係各証拠によれば、秋子らが石垣島旅行をすることになった経緯とそれに関する被告人の行動等について、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 被告人は、昭和六一年二月三日ころ、東京都練馬区江古田所在のスナック「宴」において、秋子がGに誕生日のプレゼントを渡すのに同席していたが、その際、被告人が、Gに対し、「五月に秋子と一緒に沖縄に行ってくれませんか」などと言ったところ、秋子が、「えっ、いいの、うれしい、じゃあ、G、行こう」などと言ったこと、Gが、「五月は、お仕事を休めないし、行けないわ」などと答えたところ、被告人は、「じゃあ、ゴールデンウイークだったら、いかがですか」などと言ったこと
(2) それに対し、Gが、「甲野さん、沖縄に行くのだったら、新婚旅行をかねて二人で行ったらどうですか」などと言ったところ、被告人は、「いや、僕は、ゴールデンウイークから五月一杯とても忙しいので、大阪を離れるわけにはいかない、だから、Gさん、二人がもし退屈ならば、あなたの妹さんも誘って、三人で行ったらいかがですか」「費用のことも、妹さんとGさんの分は僕が面倒をみますから、心配要りません。だから、何とか行ってやってもらえませんか」「沖縄の本島でなくて、宮古島とか、そういう小さい島に行ってほしいのですよ」などと言ったこと
(3) 被告人は、同年四月初めころ、Rに対し、電話で、「五月に石垣島旅行に行くので、一緒に行きませんか」「知っている人ばかりだ」「旅費は、すべて私が払います」などと言ったこと、その二、三日後、秋子は、Rに対し、電話で、旅行は被告人が言い出したものである旨告げたこと、その後、Rは、旅行が同年五月二〇日から二泊か三泊の予定だと聞いたが、結局、都合が付かなくなり、同月三日ころ、秋子に対し、旅行に行けない旨伝えたこと
(4) 秋子は、同年四月中旬ないし下旬ころ、FやDに対し、被告人が沖縄の商店の商品の動きを視察に行く仕事がある、それに同行していけば、旅費は経費で落とせる、旅行を計画したのは被告人である旨告げて、沖縄旅行に誘ったこと、また、秋子は、同年五月初めころ、Eに対し、同趣旨のことを伝えて、Rの代わりに沖縄旅行に参加するよう誘ったこと
(5) 被告人は、同年四月一六日、大阪市内にある日本交通公社イエスプラーザ東梅田支店において、石垣島旅行の日程や参加人数等を告げて、航空券、宿泊券等の購入手続をしたこと
(6) 以上のような経緯を経て、本件石垣島旅行には、D、E及びFが参加することになったが、その費用は、被告人が全額負担したこと、被告人が負担した旅行費用は、航空運賃や宿泊費等で七〇万円余りに上ったこと
(7) 被告人は、前記六の1(一)の(9)認定のように、同年六月二日に義母から一二〇万円を借り受けて、同月一〇日に右旅行費用七〇万円余りを含む約一四五万円のダイナースクラブカードの利用代金を支払ったこと
などの事実が認められる。
(二) 前記六の1及び右(一)の(7)認定のように、被告人は、経済的に極めて困窮した状態にあり、旅費を経費で落とせるような会社も実在せず、旅費の支払能力がなかったにもかかわらず、右(一)で認定したように、秋子やその友人らを積極的に石垣島旅行に誘い、旅費を経費で落とせるなどと虚偽の事実を述べて、その費用を自ら全額支払うことにしたのであり、この点、極めて不自然で、合理性を欠く行動であるといわざるを得ない。
5(一) 加えて、秋子の死亡後の被告人の行動等について、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) 被告人は、秋子の死亡当日である昭和六一年五月二〇日夜、八重山警察署において、佐和田警部補から秋子の死体の解剖の承諾を求められた際、「自分一人では決められないので、親族にも了解を取らなければいけない」などと言ってすぐには解剖を承諾しなかったこと、その後、被告人は、佐和田警部補から、解剖しないと火葬も戸籍の手続もできないなどと説得されて、ようやく解剖の承諾をしたが、その間、秋子の親族と連絡を取ろうとはしなかったこと
(2) 被告人は、同日午後七時ころから午後九時ころまでの間、同警察署において事情聴取を受けた際、佐和田警部補に対し、F姉妹とDさんたちが、石垣島旅行に行きたいと言い出した、自分は、猫を飼っており、家を長く留守にできないので、那覇から大阪に帰る予定であった、秋子が二月に国民年金に加入した際の調査で、秋子には、この一〇年間、通院歴も病歴もないことが分かった、秋子は、避妊薬のピルを施用しているが、薬の常用等はない、自分の収入は、年間を通して、月平均一〇〇万円くらいある旨説明したこと
(2) 被告人は、右事情聴取の終了後、前記ヴィラフサキリゾートホテルの客室において、Dら三名に対し、「国民健康保険を秋子がどれくらい使っているか、秋子の健康状態を調べてから結婚したんだ」「秋子は、若い女性の体であるので、内蔵を取り出してサンプルにしたりしないように、一度取り出した物は、すべて体の中に返してくれるように強く言った」などと説明したが、秋子の死亡の状況について尋ねることはしなかったこと
(4) 被告人は、翌二一日午前中、秋子の死体の解剖を待っている間、Dら三名に対し、「解剖が終わったら、石垣は遠いから、荼毘に付して、骨にして連れて帰る」「若いので、中の臓器を研究材料に使われてはたまらないから、元どおりにしてくれとお願いしておいた」などと言ったが、秋子が死亡するまでの容体については全く尋ねなかったこと
(5) 被告人は、同日午後、秋子の死体の解剖を終えた大野助教授から、秋子の直接死因を急性心筋梗塞とする死体検案書を渡された際、大野助教授に対し、「解剖後、体の中に臓器を返していただけましたか」「覚せい剤はどうでしたでしょうか」などと尋ねたこと
(6) 被告人は、同日夜、U及びV’から、秋子の死亡時の様子について尋ねられた際、「自分は、死亡した時刻において、同じ石垣島にいなかったんだから、本当はよく分からないんだ」などと答えたこと、また、被告人は、Uらに対し、「東京まで生身の遺体のままで搬送するのは相当無理があるので、明日にでも石垣島において火葬したい」などと言って、同人らから反対されたこと
(7) さらに、被告人は、Uらに対し、「秋子は、本当に健康で、風邪を引いても、風邪薬一つ飲んだことがなく、健康だったのに、どうして沖縄でこういうことになったんだろうな」などと言ったところ、居合わせたFから、「甲野さん、それは違うわ。私は、秋子があなたから貰ったという白いカプセルを飲んでいるのを見たことがある」などと指摘されたこと、それに対し、被告人は、「あの薬は、レオピン何とかという薬で、前の妻が飲んでいたものが残っていて、それを秋子が服用しているんだ。ニンニクの臭いが強いので、二重カプセルにして飲んでいる」などと言ったこと
(8) 被告人は、同月二二日朝、Uらに対し、「火葬していきたい」などと再度言ったこと
(9) 被告人は、同日午前中に、Uらとともに前記八重山病院を訪れ、謝花医師に対し、秋子の死因について、刺激伝導系などの専門用語を用いながら、「心臓が止まった原因について、どうお考えになりますか」「薬物によってもそういうことが起こりますか」「結局、病名は何になりますか」などと繰り返し尋ね、「いずれにしても、心臓病の一種である病気で病死したんですね」などと言ったこと
などの事実が認められる。
(二) 右(一)で認定したように、被告人は、秋子の死体の解剖を渋り、これを承諾した後は、その臓器の回収に執着するとともに、同女を石垣島で火葬にすることを繰り返し主張している。また、被告人は、秋子の日ごろのカプセルの服用の事実を自らは明らかにしようとせず、秋子の死因に強い関心を示す一方で、それと対照的に、秋子の死亡に至る状況等については全く無関心であったのである。これらの被告人の一連の言動は、極めて不自然というほかない。
6 前記1ないし5認定のように、被告人は、秋子の死亡の前後にわたって、甚だ不自然な行動をとっており、それらの行動はいずれも、被告人が秋子殺害の犯人であるとするならば、合理的に説明できる性質のものである。
八1 以上要するに、前記四認定のように、秋子が死亡したのは、その死亡当日、何者かから、その中身を知らされないまま、トリカブト毒とフグ毒が詰められた状態のカプセルを渡されたことにより、当該カプセルを服用した結果であることが認められるところ、秋子にトリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを渡すことが可能であったのは、同女と直接的な接触のできた者に限られることはいうまでもない。また、前記のとおり、トリカブト毒は、トリカブトにのみ存在し、化学的に合成することも不可能であって、かつまた、トリカブト毒の純品等が、薬局で売られているなどということはないのであるから、トリカブト毒やフグ毒を詰めたカプセルを用いることができるのは、自らトリカブトからトリカブト毒を抽出するなどして、そのようなカプセルを作成することができるか、他で人為的に作られたものを何らかの理由で入手したりすることのできる者だけである。そして、本件において、被告人以外の者で、この二つの要件を充たす者の存在は認められない。すなわち、被告人は、秋子の夫として、本件当日の午前一一時四〇分過ぎころまで、秋子と終始行動を共にし、同女にカプセルを渡す機会が十分にあったのであり、かつ、同女が日ごろカプセルを服用していることを知っていたのである。また、前記五認定のように、被告人は、鉢植えのトリカブト六二鉢や、クサフグを合計一二〇〇匹くらいのほか、メタノールなども多量に購入しており、自らトリカブトからトリカブト毒を、クサフグからフグ毒を抽出するなどして、トリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを作成することが十分に可能であったのである。そして、被告人以外には、トリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを作成し、これを秋子に渡すことのできた者はいないのである。さらに、前記六認定のように、被告人は、秋子の死亡当時、金銭的に著しく困窮した状態にあり、同女に高額の生命保険を掛けて自らがその死亡保険金の受取人になっていたのであり、これらの事情は、被告人が、秋子を殺害するに当たって十分に動機となる事情である。なお、前記七認定のように、被告人が、秋子の死亡の前後にわたって、甚だ不自然な行動をとっており、それらの行動はいずれも、被告人が秋子殺害の犯人であるとするならば、合理的に説明できる性質のものである。したがって、以上のような諸事情を総合すれば、被告人が、秋子を殺害する目的で、その具体的な手段方法につき、なお特定できない部分があるとはいえ、同女にトリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを渡し、中身を知らない同女をしてこれを服用させ、同女をアコニチン系アルカロイド中毒による急性心不全により死亡させたことは、合理的な疑いを越えて認定することができるのである。
2 ところで、被告人が秋子殺害の犯人であるとすれば、被告人において、自分が秋子と一緒にいる時間帯に秋子にトリカブト毒とフグ毒の中毒症状が発症するのではなく、自分にアリバイが存する時間帯に秋子に右中毒症状が起きるようにしたいと考えるのは、極めて自然であり、被告人が、秋子に対し、トリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルをかなり以前から渡しておいたのではなく、秋子が石垣島に向かうため被告人と別れる時刻にできる限り近い時間帯に右カプセルを交付したものであることが、合理的に推認できる。したがって、原判決が、被告人は、秋子と行動を共にしていた同女の死亡当日朝の起床時から同日午前一一時四〇分過ぎころまでの間に、トリカブト毒とフグ毒を詰めたカプセルを同女に渡したと認定判示していることも、正当として是認することができる。
3 なお、所論は、原判決は、被告人が、夏子に対してトリカブト毒及びフグ毒を投与してその毒性実験を行った旨認定しているが、被告人には、夏子に対してトリカブト毒等を投与する機会はなかったのであり、右認定は誤りであるというのである。
この点、原審で取り調べた関係各証拠によれば、たしかに、夏子は、口唇や四肢の痺れ、悪心等を訴えて入退院を繰り返したものであり、その心電図異常や呼吸停止等の症状の出現の仕方は、一過性の毒物中毒、すなわち、トリカブト中毒やフグ中毒によることを窺わせるものではある。しかしながら、被告人が、夏子に投与した物が何であったか、これを直接的に知る資料は、現在のところ存在しない。しかも、夏子の死亡後、その死体検案の際などに、同女の血液を採取して、その中にトリカブト毒やフグ毒が含まれているかどうかも検査されていない。すなわち、同女の死因が秋子と同じくアコニチン系アルカロイド中毒による急性心不全あるいはフグ毒による中毒死であることも、合理的な疑いを越えて証明されたとはいえないのである。したがって、被告人が、トリカブト毒及びフグ毒の毒性を調べるために、夏子に対してもこれを投与して毒性実験を行っていたと認定した原判決には、投与した物がトリカブト毒及びフグ毒であったと認めた点に所論指摘のような誤りがあるというほかない。もっとも、以上にみたとおり、原判決は、被告人が夏子に対してトリカブト毒及びフグ毒を投与して毒性実験を行っていたとの事実を、秋子にトリカブト毒及びフグ毒を服用させたことを裏付ける一個の間接事実として認定したものである。そして、この事実を除いて考えても、本件殺人の事実は、関係各証拠によって認められるその他の客観的な諸状況から、被告人が秋子を殺害したとの事実が十分に肯認できるのであるから、その旨認定した原判決には事実認定の誤りはなく、したがって、原判決が、夏子に対するトリカブト毒及びフグ毒を用いての毒性実験があった旨誤って認定したことは、判決に影響を及ぼすものではないのである。
また、所論は、原判決が、夏子に対する毒性実験に関し、同女の症状がトリカブト等の中毒ではなかったとの被告人の弁解について「後述のとおり」との理由で排斥しながら、その理由を後述していないという理由不備の違法があるというのであるが、原判決は、「争点に対する判断」の項中で、間接事実の認定に関し、所論指摘のようなやや不適切な説示を行ったものであり、法律上判決に要求される理由の一部を欠いているものではないから、右所論は、その前提を欠くものであって、採用の余地がない。
4 また、各詐欺未遂の事実に関し、関係各証拠によって、外形的な事実経過は明らかであり、被告人が秋子を殺害した事実も、前記のとおり、合理的な疑いを越えて認められるのである。したがって、被告人が、秋子が急性心筋梗塞で死亡したように装って、保険会社四社から秋子の死亡保険金を騙取しようとしたが、その目的を遂げなかったとの事実も、十分に認定することができ、何ら疑念を抱く余地はないのである。
九 以上のとおり、本件においては、被告人の秋子に対する殺害行為等につき、目撃者の供述、被告人の自白その他直接証拠はないものの、客観的諸状況を総合すれば、合理的な疑いを越えて認定することができるのであって、結局、本件においては、原判決挙示の原判決第二及び第三の各事実に係る関係各証拠を総合すれば、原判決が、罪となるべき事実において、殺人の事実(「第二 殺人の犯罪事実」)及び各詐欺未遂の事実(「第三 詐欺未遂の犯罪事実」)として認定判示するところは全て、正当として維持することができるのである。すなわち、間接事実の積み重ねによって罪となるべき事実を認定判示した原判決には、犯罪事実認定の方法を定めた刑訴法三一七条の適用につき、所論指摘のような誤りはなく、また、殺人及び各詐欺未遂の事実につき被告人を有罪と認めた原判決には、所論指摘のような判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りはない。なお、間接事実の認定に関し、理由不備の違法があるとの所論は、前提を欠くものであって、採用できないことは、前記八の3で説示したとおりである。論旨はいずれも、理由がない。
一〇 よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、平成七年法律第九一号による改正前の刑法二一条を適用して、当審における未決勾留日数中一〇〇〇日を原判決の刑に算入し、当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項ただし書を適用して、被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松本時夫 裁判官 服部 悟 裁判官 高橋 徹)